2009年9月4日金曜日

松屋から見えたもの

初投稿です。
今日は試験初日でした。忙しいです。

つい先日「学生記者」をやっている方とお会いする機会があり、
彼女が言っていた「アンテナを立てる」ことの素晴らしさについて、感じたことを書こうと思います。


アンテナを立てていると、目の前を通り過ぎていってしまうものに敏感になれる。


こう聞くと、何か常時ぴりぴりしていなくてはならず、疲れそう、
と思われるかもしれませんが、
でもよく考えるとむしろ逆なんだと気づきます。

何でも記事にしようとして物事を見ていると
普段だと見過ごしてしまうような、
普段だと表から見える部分だけを額面通り受け取って終わってしまうような
ものに対しても、違う視点を与えてくれる。


具体例があります。
実はさっき僕は松屋で夕飯を食べてきました。
普段なら、松屋を飯屋として利用して帰る。ただ飯を食って帰るだけ
なのですが、今日はこのブログを書かなきゃいけない。
そこで食べながらぼんやりと「書くことないなぁ」ネタを考えていたのですが、
眺めているうちに、ふとこんなことに気づきました。



松屋って国際交流の場じゃね?



今日は新人の方が入っていたようで、彼女は名札から察するに
中国人(か中国にルーツのある人)でした。
こういったお店でアジア系外国人が働いていることは(特に東京では)多いように思います。
他の男性(こちらは日本人)の方が彼女に色々と教えていたようですが、
待てよ、これは国際交流の場に他ならないと。
国際交流したけりゃ松屋で働くのもありなんじゃないの と。


ですが奇妙な感じがするのは、これはIRISが関わっているような
「望んで身を投じる国際交流」ではなく、
「望むと望まざるとに関わらず進む国際交流」の面があるからでしょう。
後者こそが本当のグローバル化だとしたら、前者は何なのだろうか。


話の本筋からそれるのでこれ以上の考察はお任せしますが、
ここで気づいた点はむしろ、繰り返しになりますが
「ネタ探し」は、普段気づかないことに気づく機会を与え、生活を豊かにしてくれる
のではないかということです。


話が長くなるのですが、さらにここで感じたことがあります。それは
最近こういう「気づき」が少なくなってきた気がするなぁということです。

忙しいと、
この「生活を豊かにしてくれる敏感さ」が失われていってしまうのではないか。
忙しいと、昔は持っていたような気がする物事に対する敏感さを
忘れていってしまっている気がするのです。

忙しいと頭をそれらに占領されて、他の事を考えるスペースがなくなってしまう。
すると、物事を「額面通り」にしか受け取れなくなってしまう。
松屋を飯屋としてしか感じることができなくなってしまう。まあ普通そうですが。

でも「忙しい」は裏を返せば「充実している」とも言えるから、
実は同じ物事をポジティブに捉えたかネガティブに捉えたかという主観面の違いでしかない。
・・・と思っていたんですが、
実はそうではないかもしれない。
もしかしたら全然充実していないのかもしれない。
より多くの物事をこなしているように見えて、
そこから感じ取った物の数から言えば、実はむしろ損しているのかもしれない。

「忙しい」が「心を亡くす」と書くことは以前から聞き知っていたのですが、
「忘れる」も「心を亡くす」と書くようです。
忙しいと、何かを忘れていっている気がしてならなくなりました。


でも、充実しながらも感性豊かに生活を送れる方法はあって、
その一つが、学生記者なのかなぁと思ったわけです。

この方にお会いしたことと、自分がこういった記事を書くことが滅多になく
今回初投稿だったと事ともからめまして、
ブログでも何でも良いのですが何かを記事にして発信することの
副次的な良さを感じた数時間でした。

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