2010年5月28日金曜日
荀子「性悪説」①
早速ですが、予告どおり前回の続き、「荀子」について書いてみたいと思います。
荀子(B.C. 313 ~ B.C. 230)は孟子(B.C. 372 ~ B.C. 289)とほぼ同時代の人といっていいと思います。孟子を戦国時代前期とすれば、荀子は戦国時代末期ということになります。それにしても両者ともに長生きですね。2000年以上前だということも考えるとなんだかすごい気がしませんか。
さて、孟子の「性善説」に対して「性悪説」を唱えた荀子ですが、まずはその内容を少し見てみることにします。
孟子曰:“人之性善。”曰:是不然。
孟子が人間は善なるものであることを言っているのに対して正面からこれは違う、と否定しています。続いて、
凡古今天下所謂善者,正理平治也;所謂惡者,偏險悖亂也:是善惡之分也已。
まずは、何が善で、何が悪なのかを示しています。彼が言うには、善とは、行いが正しい、理にかなっている、安定している、秩序がある、です。それに対して悪とは、不公平で質が悪い、陰険、誠実でない、反乱を起こす、です。
ここまで読んで、みなさんはどちらだと思いますか。本質的に人間は、善なのか、悪なのか。ここで、思い出してください。孟子は、決して人間が生まれながらにして善であるとは言っていませんでしたね。善につながるものをもっていると言っています。荀子はそれに対してではなく、結果的に人が善であるか悪であるかに焦点をあてて、善であることを否定しているように思われます。なるほど、現実に目を向ければ、人間が善だとはとても思えなかったのかもしれません。しかしながら、それは孟子に言わせれば、十分に自分の持っているものを伸ばしきれなかった人であり、人間の本質ではないのです。
荀子はこの後どう続けていくのでしょうか。当時、荀子が孟子の言っている「性善」の意味をどうとらえていたかということは、興味深い話です。
次回は、荀子「性悪説」の続きを書いてみたいと思います。解釈にずれがあると思う方はご指摘ください。
2010年5月11日火曜日
孟子
はじめまして。つい最近スタッフとなり、まだまだ仕事に慣れていない感じのMorimotoです。
挨拶代わり、最近受けている講義の内容の一部を紹介したいと思います。
テーマは「孟子」。名前を知っている人が多いか分かりませんが、かの有名な「性善説」を主張した人です。2300年ほど前の人ですが、その主張は今の時代にも通じることが多いように思います。どんな人物だったか一言で言いますと、人を信用し、周りの人たちの人に対する信頼心を触発することに秀でていた人です。
さて、「性善説」ですが、何をいっているのかというと、字が示しているとおり、「人は生まれながらにして善良な心をもっている」というものです―といいたいところですが、少し違うようです。上の主張を裏付ける有名な話は、「今にも井戸に落ちそうな子供がいたら、人間誰でも放っておかないだろう。だから、どんな人でも(普段はどんな行いをしているにせよ)善良なる心の持ち主なのである。」というものでしょう。では、孟子はどういっているのでしょうか。<孟子・公孫丑上>より引用してみます。
“惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。”
すなわち、他人を思いやる心は、仁へとつながるものである。悪を恥じる心は、義へとつながるものである。自分はひいて、他人に譲る心は、礼へとつながるものである。善悪を判断する心は、智へとつながるものである。
“人之有是四端也,猶其有四體也。有是四端而自謂不能者,自賊者也;謂其君不能者,賊其君者也。”
続けてこう言っています。仁・義・礼・智へとつながるものを人は皆持っている。持っていてそれを実現できないという者は自分をおとしめている。君子がそれをできないと言う者は君子をおとしめている。
以上に見られるように、孟子は人が生まれながらにして善と断定するよりは、皆その基礎となるものを持っていると言っているのです。ですから、それを積極的に努力してのばそうとしない限りは実現できません。また、それができないと言ってあきらめてしまうのは自分の価値をおとしめているのです。
次回は(いつかは分かりませんが)、「性悪説」を唱えた荀子について書いてみたいと思います。解釈にずれがあると思う方はご指摘ください。
2010年4月9日金曜日
留学インタビュー

こんにちは。市川です。
−出身国、日本滞在年数を教えて下さい。
タンザニア、4年
1年目は日本語学校でその後の3年は東大にいます。
−留学先での学部、受講内容について教えて下さい。
普通の東大生と全く同じカリキュラムです。ただ進学振り分けはしなくて元々薬学部に行く事が決まっていました。
−留学に必要な準備がどのようなものでしたか?
日本で留学するチャンスがあると友達から聞いて、日本の大使館で面接を受けて選ばれました。その後ビザとパスポートの準備をして来ました。
−留学中に苦労した経験はありますか?
東大に入ったばかりの時、やっぱり日本語がまだ完璧ではなくて全く授業がわかりませんでした。一学期の成績も良くなくてすごく落ち込みました。
−将来はどのような進路を考えていますか?
進路1
GREとTOEFLを受けてアメリカ、もしくはカナダで留学しようと思っています。
進路2
このまま日本でPhDまでとってその後、日本の製薬会社で就職しようと思っています。
その後、タンザニアに帰って製薬会社を作りたいです。
−日本の好きな所、嫌いな所を教えて下さい。
日本は便利で安全な国です。ほとんどの日本人は親切で誠実な人なので安心して楽しく暮らせます。嫌いな所は人間関係が複雑な所です。
−東大生に何かメッセージをお願いします。
東大生には日本だけに活躍の場を求めず世界に積極的に出て行ってグローバルリーダーになってほしいです。
−−−ありがとうごいざいましたJ
2010年3月12日金曜日
合格発表
先日、東大でも入試の合格発表がありましたね。今、合格者の皆さんの多くは幸せの真っただ中でこれからの楽しい生活を夢見ているころだと思います。
しかしその一方で大学生活に不安を感じてる人もまた多いのではないかとも思います。
それは「大学」という場がそれまでとは比較にならないほどたくさんの選択肢にあふれていることが一つの理由でしょう。
「学生である以上、勉強が大事なのかもしれないけど、サークルや部活、バイトにゼミもやってみたい…」などと考えるのはごく自然ですし、それが「うまくやっていけるかな」という不安の原因になってしまうのも仕方がないのかもしれません。
でもそれは言い換えれば、それだけ大学にはチャンスがあるということなので是非それを活かしてくれればなあと思います。
…あとIRISとしては、ぜひその選択肢の中に「国際交流」を入れてもらいたいと思うので、サイト運営や広報の方を頑張らないといけないなあと思う今日この頃です。
それでは、新入生のみなさんにとってこれからの4年間が素敵なものでありますように…。
2010年1月29日金曜日
最終講義
ゼミではご指導を頂いていたのですが、
講義はそれまで受けたことがなく
先生の最終講義が、僕にとって最初の講義となりました。
先生は力強く、博士時代から持ち続けられた問題意識をお話になり、
とても印象深い講義でした。
先生はとても人望があつく、最終講義後の懇親会でも多くのゼミOB
が参加しました。
昔のゼミ生とも会って、お互いの近況を報告などができたことも
とても良かったと思っています。
先生は今、ご研究の成果を本にするべく執筆活動をなさっているようです。
ゼミ生としてはとても楽しみです。
2009年12月20日日曜日
KY
2009年11月3日火曜日
「東大」→「社会」→「国際交流」
1カ月前からUT-IRISで活動させてもらっております。
4年生で、専門は社会学。以前は学生新聞の記者でした。
生まれてこの方日本人。異国の香りは全くありません。
大学に入る前は、国際関係に少し興味がありました。
アメリカの9.11や中国の反日デモをニュースで見て、
勉強するならこういうことがいいなぁ、なんて。
昔興味があったことと、今学んでいることは似ても似つきませんが、
モチベーションは変わりません。
「みんなが話している○○って、本当は何なの?」このいまさらな問いの答えを探すために、私は日々授業に出たり、
学生団体で活動したりして過ごしています。
1年生の時は、「東大」って何だよ? と思っていました。
進学振分け前は、「社会」って何だよ? と思っていました。
どちらも身近なようで、つかみどころのないものです。
そのような普段「所与のもの」として見なしているものごとに、
歴史があり、背景があり、理由があることが分かった時の知的興奮。
それを求めて自分は生きているのかな、と思うこともあります。
大げさな話をしましたが、IRISに入った理由は、
つまるところ東大で国際交流をやっている人々が多いのを見て
「○○」に「国際交流」を当てはめたくなったからです。
以前は、「国際交流」と名前がつけば何でもいいじゃないかと
思っている人がいるのではと、穿った見方をしていました。
しかしIRISのメンバーと話しているうちに、それは誤解なのだと思い至りました。
問題意識は大きいけれど、考え方は非常に現実的で、素敵な方々です。
同じ感覚を、先日インタビューをさせていただいた方から受けました。
ちょうど本日、更新しています。ぜひご覧いただければ幸いです。
2009年6月4日木曜日
東大生でよかったこと悪かったこと
正直言って、このお題に関して自信がない。
東大に属して5年目、この大学の酸いも甘いも味わい尽くしたと言いたいところだが、しかしながら東大は大きくて広かった。(大学の隅っこでのほほんと過ごしてきた身としては、「東大」を批判的に捉える脳味噌があまり発達しなかったように思われる。)
又東大以外の大学に在籍したことがない故、「東大のここがいいんだ!」とか「ここがだめなんだ!」とか言っても実は他の大学でも当たり前なのかもしれない。心配。自信ない。
というわけで、ちょっと表現を変えて、東大生でいてよかったこと悪かったこと(苦労したこと)について書こうと思う。
東大生でよかったなあと思うことは、環境に恵まれていること。
特に人!頭がよい人が多いことは推し量るに難しくないと思うが、たまに頭がよいのを通り越して
「この人まっじ面白い!」って人がいる。頭のよさと性格的な魅力と絡めるのが上手いとでも言おうか。
そしてそういった人は興味のある社会的事柄に能動的な人が多い気がする。
その魅力を四方八方に発散させないと気がすまないくらいエネルギッシュなんであろう。
また研究レベルが高いという意味では研究者を目指す人にとってはとても恵まれた環境である。
東大生でいて苦労した・していることは、世界が狭いこと。
それは他の多くのメンバーが使用していた「多様性の無さ」とか「学生の均質性」とかいった言葉で
表されると思う。
また、「東大生」という名前にいつまでも付きまとわれることに関しても苦労する。
世間一般が東大生に持つ特定のイメージというものがあり、そこから逃れることは容易ではなく、先入観を持たれやすい。
(自分が女だから、これに関して特にデメリットを感じる機会が多いのかもしれない)
これに関しては個人の心持の問題の部分も大いにあるが。
それと並行して環境に恵まれていると書いたが、その環境を活用しきれてない自分に腹立たしく感じることも多い。
あとくだらないことであるが、高田馬場にある某大学などと比べるとキャンパスの周りがにぎやかでなくて不便に感じることもある。これはもうただの我儘であるが。贅沢。
こんな感じであろうか。
あ、申し遅れましたが東大大学院農学部修士一年の市岡と申します。
駄文失礼いたしました。
2009年5月30日土曜日
東京大学の歴史的役割に鑑みる東京大学の「良いところ」「悪いところ」
東京大学は1877年にわが国で初めて設立された大学であり、当時は唯一の大学であったため「帝国大学」「大学」と呼ばれ、現在の英語標記が「The University of Tokyo」と定冠詞「The」を付けて表記されているのも唯一の大学であった頃の名残りです。
よく言われることですが、明治時代、西洋列強に追いつくために近代化することを急務としたわが国において、東京大学は極めて大きな役割を担いました。
一つは、水村美苗氏が著書「日本語が滅びるとき」で書いているように、「学問の言葉」が英語、ドイツ語、フランス語であった時代に、東京大学は巨大な翻訳機関として西洋が蓄積してきた叡智を日本語に翻訳し、日本人が共有できる形へと変換したことです。
そしてもう一つは、政官学財の各界に、このような叡智を応用して近代化を推進するリーダーとなる人材を輩出してきたことです。
東京大学が「叡智の集積・叡智の翻訳・叡智を応用する人材の育成・叡智の応用」を行ってきたことが、わが国の近代化の礎を作ってきたことは確かあり、歴史を振り返ると東京大学に結果的にこのようなたくさんの「良いところ」があったからこそ、わが国の近代史において極めて大きな役割を果たし得たのだと言えます。
それでは2009年現在の東京大学はどのように評価されるべきなのでしょうか。
上述した東京大学が歴史的に担ってきた4つの機能のうち、「叡智の集積・叡智の翻訳」は、現在も東京大学に限らず様々な大学で活発に行われています。
「叡智の応用」は、技術が高度化し、叡智を応用するプロセスに大きな資本が必要な時代の要請に応えて「産学連携」という形で進められております。まだ多くの課題があるようですが、近年になって東京大学エッジキャピタルや東京大学TLOが設立され、力強く推進されている分野であると言えます。
このように、東京大学は明治以降に担ってきた役割のほとんどを引き続き担っている、或いは担うための体制を常に能動的に整えていると言えます。
これらは、「東京大学の役割」を明確に意識した、東京大学の「良いところ」であると思います。
他方、「叡智を応用する人材の育成」という点については、今日の東京大学が果たすべき役割を果たしているどうかは少々の疑問が残ります(お世辞にも優秀な東大生である
とは言えない私がこのような主張をする僭越をお許し下さい)。
私は、今日の東京大学が直面する最も大きな問題は、「学生の均質化」と「学生の意欲・責任感の低下」であると考えています。
日本の受験界の頂点にある東京大学には、経済的な事情から東京大学に通えない方を除いて、少なくとも受験勉強において最も高い成績を収めた人々が入学しています。
これは、東京大学(帝国大学)の黎明期と表面的には同じ状況ではありますが、当時と決定的に違う点があります。
当時は高等学校(旧制中学)以上の教育を受けられる人自体が少なく、大学にはほんの一握りの、意識・意欲の高い人材だけが入学していましたが、今日はいわゆる「大学全入時代」が到来しており、同じようなカリキュラムで、同じように育成された高校生が、画一的な試験で高い点数をつけた順に偏差値の高い大学に入学していく仕組みになってしまっています。
これには二つの弊害があります。
一つは、当然ながら、「上から順に数字をつけて、一番高いグループは○○大学、次のグループは○○大学、次は○○大学・・・」と分類していることになるので、入学試験という尺度での「均質化」が起きるということです。これによって、「(点数が)上だったやつに追いつこう」という向上心や「下だったやつに抜かれないように努力しなければ」という危機感も薄れます。「みんな大体同じなはず」だという変な連帯感が安心感を生み、学生が努力する動機を幾つか削いでしまうことになります。また、たとえ入
学試験以外の面において東大生以外の人に大きく差をつけられていても、入学試験という尺度での序列が変な優越感・安心感を与えてしまいます。
もう一つは、「受験勉強の合格点取得 = 東京大学が提供する利益を一身に享受することの正当化」という図式が出来上がってしまうことです。
「東京大学に入学するだけの点数を取ったのだから」という理由で、「東京大学で教育を受けること・東大生であること」を心理的に私物化・私有化してしまうケースがあるように思います。それは、「東大卒」という肩書きを就職活動用の材料ぐらいにしか思わない東大生を生んだり、不必要に他大学を見下す東大生を生んだりします。「東大生であること」を当然の権利としてしか見ず「東京大学」を自分の目標を達成するための道具として用いる学生が増えているとすれば、社会的な責務を感じて日本の近代化のために尽くした明治期の東京大学と同じ役割を担う力は弱っている恐れがあります。
つまり、非常に悪く言えば、同じような環境で育ち、同じ尺度で選ばれた均質な学生が、均質だという安心感の中で、「東大生・東大卒」という「当然の権利」を行使して、自分自身の目的達成のために東京大学を利用する、という状況が一部には生まれつつあるということだと思います。
これは、様々な環境で育った学生が、「東大生・帝大生」であるということを権利だけでなく責務として捉え、日本の近代化のために尽くした過去の東京大学とは一線を画すものであります。
そして様々な国の学生と国際交流をしていて思うのは、中国やインドのような新興国のみならず、アメリカのように日本よりも発展しており、教育の歴史が長く、水準が高い国においても、後者のタイプの学生が多いのではないかということです。最高学府の学生の均質化と意欲の低下は、日本の最高学府で学ぶ東大生に特異なことであるのかもしれません。
それでは、この状況を打破するためにはどうすればいいのでしょうか。
他国の学生と真剣な議論や交流の中で接することは、「東大生」である自分自身を、「国内の画一的な評価制度」で上位にあるということだけでなく、「世界の大学生」という別の部分集合の中で捉え、自分自身の強みと弱みを他国の大学生との相対の中で感じることになります。こうして自分自身を相対化することこそが、変容してしまった東大生の意識・意欲に再び「適度な危機感・緊張感」「権利と責務のバランス」を芽生えさせることになるのではないでしょうか。
そしてこのような東大生の質的な変容が再び強い日本をつくる原動力になり、結果的には個々人の利益だけを追求した場合以上に、個々人の目標達成および利益にもつながるものであると思います。
東京大学の132年の歴史の中にあった東京大学の「良いところ」と「悪いところ」をしっかりと見据え、現在の東京大学の「良いところ」と「悪いところ」と照らし合わせ、守るべきところを守り、変えるべきところを変えていく。法人化後の東京大学は改革を果敢に進めていますし、これからの東京大学を非常に楽しみに思います。
2009年5月27日水曜日
サンガレンシンポジウムに参加して
UT-IRISには半年ほどお世話になっております。といっても最近はなかなかコミットできていないのですが・・・(笑)
いろいろな意味で尊敬できる人が沢山いるので、楽しくスタッフをやらせていただいております。
さてさて、ちょっと間があいてしまったのですが、5/4~11まで、St.Gallen Symposiumというプログラムに参加するため、スイスに行ってきました。
http://www.stgallen-symposium.org/
プログラムがどういうものかはweb siteを見ていただくとして、人生観が変わるくらい刺激を受けて帰って参りました。自分が受かったことが信じられないくらい、すばらしい学生、第一線を行くビジネスマン、アカデミアおよびビジネスからの超一流のスピーカーの方々が集まっています。こういうプログラムに沢山参加している訳ではないので分かりませんが、「りーだーしっぷなんとか」的なプログラムにありがちな、モチベーションだけ高い人が集まっている場ではなく、様々な方向性で尊敬できる人が集まっています。
来年学生の方、学生にならざるを得ない方など、是非参加される事をお勧めします。僕も来年は学生にならないとニートになってしまうので、またアプライしようかと思っています。受かるかどうかは分かりませんが・・・
さて、帰ってきて早速日々の雑事に追われてしまう毎日ですが、今回のシンポジウムで得たことを胸に刻むために、強く思ったことを書き残しておきます。
①Be open-minded
とにかく、日本にいると視点が偏ってしまう、というのは海外に行くたびに思うことですが、今回ほど強く思ったことはありませんでした。それは世界各地から優秀な方々が集まっているこのシンポジウムだからこそなせたわざなのかもしれませんが、それにしても皆視野が広いことをひしひしと感じました。 specialistとgeneralistの両立というのは東大の前総長が入学式におっしゃっていたと記憶していますが、まだまだほど遠い自分に辟易してしまいます・・・
②Act professionally
学生だとか社会人だとかいった肩書きなどは関係なく、個々の力が試される場において、頼れるのは自分自身の力だけ。他人に頼ったり流されたり、相手のオーラに威圧されたり、心の中で言い訳をしているうちは一人前にはなれないと思いました。誰に対しても自信を持って(心理的に)対等に接することができて初めて、professionalと言えると思います。
③Input and Output
上にも通じることですが、自分に自信をもち、professionalとして振る舞えるためには効果的にinputとoutputをできることが重要だと思います。日本人は英語が下手だと言われますが、個人的には日本人は単にこの能力(+自信)が欠けているだけだと思います。
来年学生でいらっしゃる皆様には、ぜひこのプログラムをお勧めしたいです。おそらくエッセイの提出は2月頃になると思いますので、ぜひわれわれのサイトhttp://ut-iris.org/でご確認ください。
2009年5月25日月曜日
東京大学で学ぶ
工学部航空宇宙工学科3年の大谷翔といいます。
昨年度、高専(高校+短大の5年間通う学校)から編入してきました。
高専時代の専攻は電子制御工学です。
そんな経歴もあってからか東大に求めたもの、イメージしていたことも一般受験組とはずいぶん違っていたと思うことも多々あります。
僕が編入学以前に一番求めていたものは”専門”でした。技術者の道を突き進むなら日本一の環境、世界から評価される大学で専門を磨きたいという一心で受験を決めました。
僕から見た東京大学の良い点、悪い点を挙げると、
【良い点】
・人
東京大学には色々なものに秀でて、野心を抱く人が多くいるように思います。勉強だけではないです。
ノーベル賞級の研究を志す人、政治家となって日本を改革しようとする人、起業を考える人、・・・、人を惹きつける個性を持つ人
・研究レベルや施設
研究レベルや施設がとても充実しています。教授陣は日本の権威ばかりで研究室に伺えばワクワクするような最先端のお話を山ほど聞かせてくれます。自分で学習を進めるにしても、日本一大きな大学図書館である総合図書館や各学部・学科の図書館へ行けば探していた専門書や論文が必ず見つかります。勉強以外でも、ジムやカフェなどの施設もあり、生活自体を充実させる環境まで整っています。
・機会
東京大学では毎週のように各界の大物を呼んで、講演会やシンポジウムをやっています。そういった人達の話を直に聞き、質問などをぶつけられるのはとてもためになる経験です。就職活動においても憧れの舞台で活躍するOBから率直な意見を聞くこともできます。主体的に行動すれば、東京大学は選びきれないほどの機会に恵まれています。
【悪い点】
・国際的視点
学生時代から世界へ出る、そして世界から東京大学で来る学生が少ないことは大問題です。東京大学はこの点で大きく大学ランキングの順位を下げています。なかには、学術面での評価は高いから問題ない、東京大学は世界トップレベルだと唱える人もいます。しかし、将来必要となるのは、研ぎ澄まされた専門性のみでなく、広い知識と経験から成る”他人を受け入れる心意気”と”自らを堂々と表現する自信”が必要だと僕は考えています。国際舞台ではそれまでの人生で出会ったこともないような人や考え方に出会う確率が高く、その経験から自らを見つめ、人生の方向性まで見定められるようになる人までいます。このようなチャンスを学生がなかなか利用しきれていないことが非常に残念です。
このUT-IRISの活動を通して、学生レベルでの東京大学の国際活動を活性化し、さらに東京大学を、日本を魅力的にしていきたいです。
僕は海外といえばまだ、米国、オーストラリア、台湾しか行ったことがありませんが、自分自身もこの活動を通して見識を広めていき、また日本の魅力も発信していこうと思います。
2009年5月22日金曜日
東大生活5年目の雑感
工学系研究科に進学しまして、現在防災分野の研究室にいます。
ということも関係して、最近IRIS内でも非常に憎まれている新型インフルエンザについて、発生からの追跡調査をすることになりました。
こういう調査・分析が入ってしまうので、最近は否応なしに研究室へのコミットが高くなっています。
今回のターン(響き悪いですかね)では、東大のいいところ、悪いところについて考えてみようということになってます。
■いいところ
【人】
優秀にもいろいろあると思うんですが、
いわゆる試験を非常にうまくやりきる人、たまにエッジを利かせた意見を述べる人、推進力がある人、要領がいい人などなど、
見てるといろいろ気付くことや考えさせられることも多くて楽しいです。
で、たまにとんでもない人がいます。
いままで何人か思い浮かぶ人達がいるのですが、やはりそういう出会いが歩みの加速度を飛躍的に上げてくれる。
そんな出会いがごく稀にでもあるということは、東大に通っててよかったと思えるとてもありがたいことです。
【大学・研究】
やりたいことがあって、それを実現するために必要な「レバレッジ」とでもいうのか、リソースは他大学と比較すれば豊富にあるなと思います。有効に活用できているのか、されているのかは藪の中なのですが。。
■悪いところ
【研究】
Liさんも書いていましたが、研究室の閉塞感というのか、そういうものをよく感じます。
自分のやっている研究内容には満足をしているのですが、縦割りすぎる。
すごく狭いコミュニティの中での生活というのは、4年生の1年間しっかりやってみようと思って頑張りましたが、息苦しいものです。革新的なものを生んで行くということを考えたときにも、この構造には致命的な欠陥があるように思います。
また、類似するような研究が複数箇所で進んでいるのでは?と思うこともあり、他学部を含めより連携する体制があるといいと思います。
【大学】
自分がいる学科(好きかどうかは別の話)では海外インターンに派遣してくれたり外にも目を向けさせてくれる環境がありました。ただ、全学を通じてそのような環境を醸成しているかというと、そのようなことはない。
また、制度があっても組織ごとにバラバラで連携が取れていなかったり、制度があっても周知されていなかったり。そういう状況にもどかしさを感じることが多々あります。
余談ですが、全学に1年間の留学を課すという制度があったらいいなぁと思ったりします。
海外に興味がある学生もない学生も。
外から日本を見つめ直して日本の問題を再認識する人、日本の良さに誇りを持つ人、海外の異文化に触れ自らの中に多様な価値観を取り込んでいく人、より自分に合った文化を見つける人、英語の必要性を痛感する人、自分の大学生活を海外の大学生活と比較してヌルさに気付く人などなど
自由な時間を過ごすことができる大学生活の、なるべく早いフェーズでこの経験をできたら、大学生活はもっと充実するんじゃないかなぁと個人的に思ってます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
急ぎ足で書いてしまいましたが、今後も団体に入ったきっかけとか、いまやっている海外に関する研究とか書いて行けたらと思っています。
文章もおもしろくなるように練習しなければですね。
お付き合いありがとうございました。
それではまた。
学びの場としての東大
大学受験の偏差値では日本のトップであり、優秀な高校生ならばほとんど、みなが目指す大学である。
(この一極化の良し悪しには議論の余地は残るが)
さて、ここでなぜ学力が高ければ東大を目指すのか?
・就職するときのブランド力
・環境の良さ
さまざまな切り口が考えられますが、単純に言えば偏差値が一番高いから、だと思う。
僕が所属していた私立の受験校は、先生は優秀な生徒にはみな東大を受けるように勧めていたが、特に偏差値が高いから、ブランド力があるからといった他の理由を提示できていなかったと思う。
東京大学が誇れるべき学術環境として圧倒的なのが
・多様性(文系、理系、留学生、教養学部のシステム)
・研究費用の充実度
・アカデミックの強さ
だと思う。
唯一日本で教養学部を取り入れて、最初の二年間これまで受験勉強で一方的で受け身の勉強を極めてきたと言える学生の視野を広げ、彼らの将来に向けての準備期間を提供する意義はとても深い。
そのような環境で学ぶことも重要だが、ここで作られた多様性に満ちた友人関係の価値は計り知れない。
アカデミック分野での東大の強さは国際ランキングからも見られるようにいちいち述べる必要もない。
ただ肌身として感じるのは研究者の人々のコミュニケーション能力があまり高くないのである。
縦社会の真髄ともいえる研究室で、自分の専門分野にひたすら打ち込むことはもちろん専門性を高めるが、その閉塞性故にほかの専門分野の研究者との交流がきわめて少ないのである。
僕はイノベーションには多様性のミックスが必須だと信じており、このような現状を打破できないかと考えているが、競争が無く地位が脅かされない縦社会の研究室では難しい。
なので僕は研究科に所属しながら、できるだけほかの分野の友人とご飯を食べるようにしているし、さまざまな討論をして見解を広めるようと努力している。
UT-IRISという学生団体は、目的を共有しながらもメンバーのバックグランドが多様にわたり(文化的にも、学術的にも)、そのミーティングは様々な考えを知る貴重な場となる。
国際交流イベントの重要な意義の一つとして、自己啓発なるものがある。
日本の中でずっと優秀で生きてきた東大生はよくいえばその考えや行動は日本の中では研ぎ澄まされており極めて1次元的評価で言えば頂点を極めているが、国際交流で外の文化の人間の意見を聞くとそもそも評価軸が1次元から2次元に増えることにより、他の方向性の見方が見えてくる。
これは国際交流イベントに参加した人間が共通して口をそろえて言うことである。
自分の考えの教養を深め、より高い視点から現状を俯瞰するためにも、このような国際交流イベントはとても役に立つだろう。
現在東大は国際化を進めているが、その結果もっともっと東大の中での多様性が増えればいいなと思う次第です。
2009年5月21日木曜日
東大の良いところ悪いところ
カーティス教授講演会に続き清華大ウィークも延期になってしまい、いくら豚インフルエンザを呪ってみても気がおさまりません。。。
気を取り直して、東大の良いところ悪いところ。思いつくことはたくさんありますが、何点か絞って書いてみます。
IRISスタッフとしてブログ書かない方がいいんじゃないか、っていうくらい稚拙な文章しか書けないので、思ったことを文章気にせずそのまま書くことにしました。
まず東大の良いところ。
- 様々な専門分野の友達ができる。
これぞ総合大学の良いところ。駒場時代のサークルやIRISの活動を通して、文理関係なく様々な学部の友人ができました。異なる考え方を知れて面白いっていうのもあるけど、まだ大学生だからか専門による考え方の違いってあまり感じない。それよりも私が一番面白いって思うのは、違う分野の話を聞けること。学問だけに限らず、将来の進路に関しても。
- すごい!と思える人がたくさんいる。
部活やサークルに力を注いでいる人、それから信念を持って学生団体の活動に学業以外の時間を捧げる人、皆話をすると刺激を受ける。それからもちろん、学問に集中している人にも。
尊敬できる人がたくさんいる環境っていいな。自分もそんな風になりたい、とモチベーションが高まるし。
続いて東大の不満な点。
- 国際化が遅れている。
世界の大学ランキングで、研究等他の項目に関しては良い評価を受けているのに、「国際化」の項目はひどい評価。
確かに留学生も外国人教職員も少ない。
日本人の私は現状に何の不便も感じないし、あまり気にすることないんじゃないかと思っていたけど、サンガレンシンポジウムやGlobal Summer Programで海外の学生と交流したり海外の大学で授業を受けてみて、いろんな国籍や経験を持つ学生がいる環境に驚いた。
それがどうしていいの?って聞かれると困るし「多様な考え方を知れる」とつまらない答えしかできないかもしれないけど、そういう環境って刺激的で面白い。自分のアイデンティティや国籍、日本と他の国との関係、客観的に見た日本を常に考えていなければいけなくなる。
- 学部が縦割り。
それから、Dual Degree制度が欲しい。
最近グローバルCOEとかで協力してる学部もあるし、学部間の連携が進みつつあるのかな?
つらつらと書いてみましたが、自分の通っている大学を少しでも良くしたい!と思うから、不満を言うだけじゃなくて悪い点は改善できるよう中から働きかけていきたいです。
日本人的な帰属意識を自分の大学に持っているからだけではなく、毎日通う大学だからこそ、自分にとって居心地の良い環境、自分を高めてくれるところにしたいから。
学生からも意見を言って、魅力的な大学にしていきたいな!