2010年5月11日火曜日

孟子

はじめまして。つい最近スタッフとなり、まだまだ仕事に慣れていない感じのMorimotoです。

挨拶代わり、最近受けている講義の内容の一部を紹介したいと思います。

テーマは「孟子」。名前を知っている人が多いか分かりませんが、かの有名な「性善説」を主張した人です。2300年ほど前の人ですが、その主張は今の時代にも通じることが多いように思います。どんな人物だったか一言で言いますと、人を信用し、周りの人たちの人に対する信頼心を触発することに秀でていた人です。

さて、「性善説」ですが、何をいっているのかというと、字が示しているとおり、「人は生まれながらにして善良な心をもっている」というものです―といいたいところですが、少し違うようです。上の主張を裏付ける有名な話は、「今にも井戸に落ちそうな子供がいたら、人間誰でも放っておかないだろう。だから、どんな人でも(普段はどんな行いをしているにせよ)善良なる心の持ち主なのである。」というものでしょう。では、孟子はどういっているのでしょうか。<孟子・公孫丑上>より引用してみます。

惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。”

すなわち、他人を思いやる心は、仁へとつながるものである。悪を恥じる心は、義へとつながるものである。自分はひいて、他人に譲る心は、礼へとつながるものである。善悪を判断する心は、智へとつながるものである。

“人之有是四端也,其有四體也。有是四端而自謂不能者,自賊者也;謂其君不能者,賊其君者也。”

続けてこう言っています。仁・義・礼・智へとつながるものを人は皆持っている。持っていてそれを実現できないという者は自分をおとしめている。君子がそれをできないと言う者は君子をおとしめている。

以上に見られるように、孟子は人が生まれながらにして善と断定するよりは、皆その基礎となるものを持っていると言っているのです。ですから、それを積極的に努力してのばそうとしない限りは実現できません。また、それができないと言ってあきらめてしまうのは自分の価値をおとしめているのです。

次回は(いつかは分かりませんが)、「性悪説」を唱えた荀子について書いてみたいと思います。解釈にずれがあると思う方はご指摘ください。

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