2009年10月29日木曜日

ざっくざく

以前、同じ物事をするにしても
ぼーっとこなすのではなくていろいろと考えることが大事だ
などと書きました。

そんな「普段からいろいろと考えている奴」になりたくて
挑戦してはいたんですが、そうめったにうまいこと思いつくもんでもないです。

(先日の雨の日に出歩いて、傘袋って何故か使うときに一瞬躊躇する気がするのは
どこへ行くとも知れない大量のゴミになるからかもしれないと気づき、
傘こそエコバッグだ、などと息巻いていたんですが
さっき検索したら傘のエコバッグいっぱい出てきました。)


ところで今日は某省内定者の方々とお話する機会がありました。
そこで少し別の側面に気づきました。それは
自力で何か考えに思い至る必要性は、思うほど無いかもしれないということです。
ひとの話は宝の山でした。

自分がなんとなく、漠然と感じていたことを
完璧な言葉にして目の前に顕してくれたときの爽快感は、他にありません。
そうそれだ、自分が傘袋に対して抱いていた思いはそれなんだと教えられるんです。

自分で金鉱を探しあてるのはセンスのある人か運の強い人にしかできないけれど
先達が放ってくれる長い時間をかけて磨き上げられた珠玉の言葉を
拾ってくるのは、多分だいぶ簡単です。

そういう言葉を拾って集めて組み立てれば
自分が語る言葉も光ってくるのかもしれない。

そんなことを悩める就活生は考えています。

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