2009年6月23日火曜日

夏休みの過ごし方に関する自省と「継続の力」と「超回復」

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投稿を読み返して思ったのですが、誤解がないようにここに書き加えます。
この投稿は、留学したり、国際交流したり、旅行したりすることを批判する
ネガティブキャンペーンを張っているのではありません!
そういう活動は、大いに、たくさんやるべきです。
ただ、短期的な成果に慢心せず、燃え尽きて全部中途半端にせず、
最大の利得を得ることが大事だと思うだけです。

今まさに留学、国際交流、旅行などしようと思っている方々、
ぜひ存分に楽しみ、学んで下さい。
僕はそういう活動を通じて、人生が65度(?)ぐらい変わりました。
ぜひ良い経験を積んで下さい。
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日本の学生の夏休みは、社会人から見れば「君たちはアホか・・・?」と思うほど、

他国の学生から見れば「キンベンナルジャパニーズハイズコ?」と疑問を抱かずにはいられないほどにに、長い。

そして私自身を含めて、この二ヶ月以上にも渡る世間的に非常識と言わざるを得ない休暇を、惰性で過ごし、浪費してしまう学生は少なくありません。

夏休みに掛かる「機会費用」を算出しようものなら、その巨費に辟易することでしょう。





さて、自分自身の夏休みを振り返ると、1~4年は主に、空手部の練習や合宿がありました。
また、実家があるアメリカに帰省することもしばしばありました。

「空手部の練習や合宿」と書きましたが、うちの空手部の(当時の)特徴として、運動会(体育会)の部であるにも関わらず非常にリベラルであり、自由度が高かったため(きっと空手サークルよりも自由度が高いと思います)、夏休みの半分ぐらいは休みでした。

休みの間も自主的にトレーニングをすればいいのですが、「自主性」というのは尻を力一杯に引っ叩かないとなかなか動かないものでして、夏休みが終わる頃には始まる前よりもずっと体が鈍ってしまっていて、秋の稽古は一際きついものでした。






ここから得る教訓があるとすれば、やはり「継続の力」というとても基本的な概念の復習でしょう。

筋力トレーニングを例に取るとわかり易いですが、筋力の増強は、「筋肉の繊維が破壊され、それが修復された時に以前よりも強く太くなる現象」、いわゆる「超回復」というドラゴンボールのサイヤ人さながらの人体の不思議によって起こるものです。

よって、筋トレをして、超回復が起こる前に次のトレーニングに勤しんでも逆効果で筋肉が痩せ細ってしまいますし、超回復が終わった頃に慌ててトレーニングをしても現状回復しかできません。

ちょうど良いタイミングが来るまでしっかりと栄養を補給し、筋肉に休息を与え、しっかりと次につなげる準備ができたタイミングで「継続」することが重要なのです。

よって、この成長のプロセスを実行しなかった数々の夏休みのせいで、空手の成長曲線も決して芳しいものではなかったのかなと、今更ながら後悔するところもあります。






当然ではありますが、「継続の力」の重要性は何も筋力トレーニングに限ったものではありませんし、「超回復」もメタファーとして応用できます。

文科系の活動や、勉強にも同じことが言えます。

海外に旅行で行くにしても、国際交流イベントに参加するにしても、留学に行くにしても、やはり継続性を意識し、「超回復」が起こるように設計する必要があります。

そして私はこの継続性と「超回復」の有無こそ、学生と社会人を分かつ最も本質的な違いであると思います。






(以下、フルタイムの社会人になったことがないことを棚に上げて書きます)

社会人は、否が応でも毎日出社して仕事をこなさなくてはなりません。

一般的には朝から晩まで、一貫した仕事に従事するのだと思います。

その中で、失敗したり、叱られたり、罵られたり、苦情を寄せられたり、改善したり、学習したりしながら、「超回復」して成長していくのだと思います。
もちろん、超回復できる前に打ちのめされて諦めてしまうこともなくはないと思います。







他方、学生の多くは、短期留学したり、国際交流をしたり、旅行をしたりしても、そこで得たものを次に活かすプロセスが「自主性」に拠るため、そのほとんどを朽ち果てさせてしまうことが少なくありません。

国際交流をするなら、その内容や得た種々の教訓について、交流プログラムが終了した後も勉強を続けて一つの成果にまとめるなど、経験と知識を整理するプロセスが不可欠です。

旅行は、楽しむためでももちろん結構だと思いますが、せっかく日本を離れ、日本を遠くから眺めて客観視する機会なので、何らかの「考え方の枠組み」を持って臨むとによって得られるものは格段に大きくなるでしょう。

留学の目的が語学であるなら、その国の言語を話す友人をたくさん作り、継続的にその言語を使う環境を準備すれば効果は飛躍的に向上するでしょう。









アクティブな学生であればあるほど、様々な活動に手を出し、全てにおいて中くらいの成果を出し、慢心してしまう恐れがあります。

私自身、空手部を満期引退した後の3年間にそのような嫌いがあったと思わなくもありません。

多くの活動に関わるなら、それらの連関性・関連性を意識し、その和が自身のキャパシティを超過しないように細心の注意を払い、自身の成長につなげる必要があります。

また、キャパシティの計算の際は、「順調に進んでいる状態」ではなく「不測の事態が起こった状態」を想定し、ある程度キャパシティの計算にバッファをかけるべきです。私はこの点を見過ごしがちで、痛い目を見て神様やら仏様やら教授様やらに祈りを捧げた経験が幾度もあります。










自身の成長の全体像を意識し、継続性を保ち、「超回復」を起こしてぐんぐんと成長していく。

私自身の6年間以上にも及ぶ学生生活の中で、頭で分かってきてはいることですが、実行するのは並大抵のことではありません。

しかし、このプロセスを実現でき得るなら、自身の価値の出し方がある程度、定められていて、制限されてしまっている社会人以上に、学生時代に自分自身を成長させることも可能なのではないでしょうか。

自由はしばしば怠惰を生み出すものであり、日本では大学という空間で世界に類を見ないほどに大量の怠惰が生成され、日本国が真価を発揮するのを阻害しています。

彦麻呂風に言うなら、「怠惰のアルセロール・ミタルやー(注:世界最大の鉄鋼会社)」と言わざるを得ない惨状が厳然とあります。





夏休みは、大学生活を客観視し、「大学生活は遊んで過ごすもの」というこの国の学生の心に救う病理を憂い、継続性の中で超回復を繰り返して急成長する好機です。

自分自身への自省の念を込めて、そんな生産的な夏休みを提唱したいと思います。

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