2009年8月2日日曜日

日本文学の素晴らしさと、国語としての日本語について。

私はこの4月から、柏キャンパスという、東大の第三の極にして最も影の薄いキャンパスに通って居ます。

元は本郷キャンパス近くの文京区白山に住んでいたのですが、千葉県に移住してから、電車に乗る時間がめっきり増えました。

東京を往復するのにかかる時間は約二時間。なら何故態々、千葉まで引っ越したのか・・・というご指摘が多方面から聞こえそうですが、「東京から遠い」というこの一点を除いて、総

じて今の環境に満足しています。

もっとも、この一点だけを以って千葉への引越しが甚だ本末転倒であったと結論付けることもできるように思いますが・・・orz

まぁしかしこのような環境に身を置いてしまった以上、一日の十二分の一にも上るこの時間を如何に有効に活用するかは、重要な考察であります。





最近の私は、ニンテンドーDSという、任天堂の携帯式ゲーム機を片手にガタンゴトンとつくばエクスプレスに揺られています。

小さな画面に映るのは文字、文字、文字。

「DS文学全集」というソフトで、所謂、日本の文豪と呼ばれる方々の作品を数多く収録した優れものです。





恥ずかしながら、これまで文学、特に日本文学というものを多少軽んじて生きて参りました。

「所詮、誰かが考えた空想物語でしかない。態々時間を取って読む必要もない」と考え、

書物は専ら、経済、政治などに関する本や、フィクションであっても歴史や実社会に深く関連したもの(例:英語なら、ロシア革命を描いたOrwellのAnimal Farmとか・・)を好んで読ん

できました。






そんな私が、日本文学に対して俄かに食指を動かしたのは、友人に薦められて水村美笛氏の「日本語が滅びるとき」を読んでからのことです。

この本は、私が今までの人生で読んだ本の中で、或いは最も衝撃を受けたものであるかもしれません。





かなり端折って、この本の一部を要約します。

言語には三つの発展段階があります。即ち「現地語」、「国語」、そして「普遍語」です。




「現地語」は、人類の歴史の中で、様々な人々が様々な場所で日常的に使用してきた、数多の言語を指します。全ての言語は現地語として始まったのです。

「現地語」は人々の母語であり、そもそもが日常の意思疎通を目的としているため、書き言葉を持つとも限りません。



「普遍語」は、単に多くの人々が使用する言語ということだけではなく、各社会に一定以上いる「叡智を求める人々」が、「叡智を求め、叡智を作る」活動を行う際に使用する言語です



例えば、かつてのギリシャ語やラテン語、そして今日の英語が普遍語です。

ラテン語が「普遍語」であった時、ポーランドのコペルニクスも、イタリアのガリレオも、ドイツのケプラーも、イギリスのニュートンも、皆ラテン語で論文を書きました。

まさに「叡智を求める人々」の最たる例であった彼らは、日常的にはポーランド語やイタリア語を使やドイツ語や英語を使いながらも、こと天文学や物理学の「叡智」について書く時は

、「普遍語」であるラテン語を使用するのでした。





最後に、「国語」というのは、「もとは『現地語』でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、『普遍語』と同じレベルで機能するようになったもの」です。

例えば日本語。

嘗て仮名交じりの日本語は、「女子供が使う言語」として、東アジアの普遍語であった漢文より下位に位置する「現地語」でありました。
日本の公文書は漢文で書かれていたのです。

そんな日本語が「国語」へと昇格したのは日本が明治維新を経て国民国家としての転生を遂げた後、即ち明治期に入ってからのことであります。

それではこの時代に、日本語にどのような変化があったのでしょうか。

それは端的に言えば、日本語で表現できる概念が普遍語の其れに近い水準まで広がり、それまでは普遍語でしか書かれなかったこと(公文書、学術論文など)が、悉く日本語で書かれる

ようになったことに他なりません。






例えば、「普遍語」で表現し得る概念の集合の大きさが10であるとします(単位は特にありません・・感覚です)。

すると、「現地語」で表現し得る集合は例えば1程度のものです。普遍語と現地語の「叡智を表現する力」の比は、例えば10:1なわけです。

「普遍語」には政治や経済、自然科学、哲学など様々な分野において「叡智を求める人々」が何千年にも渡って貪欲に求め続けた叡智があります。

作者の言葉を借りると、「普遍語の図書館(施設としての図書館ではなく、過去に生まれた全ての叡智の集合としての図書館)」に絶えず人々が出入りし、「叡智」が詰まった普遍語を

読み、そして普遍語で「書き」、叡智を蓄積する飽くなき作業を続けてきたからです。

他方、日常の意思疎通のみが目的であった「現地語」には、元々は存在しなかった言葉がたくさんあったのです。

(逆に、例えば雪と密接な関係の中で生きるエスキモーの現地語には、雪の様々な形状や状態のそれぞれに対して、別個の表現があったように、「日常的」な事象を表現する方法として

の現地語は、普遍語より優れていることもしばしばです。四季折々の美しい風土、複雑な社会構造、独特の精神文化に恵まれた日本の現地語であった日本語も同様に、数々の優れた表現

を有していたのです。)






そして「現地語」が「国語」へと昇華されるためには、「普遍語の図書館」に入り浸り、そこにある叡智を記述できるように「現地語」に翻訳をし、「現地語」で表現できる概念の集合

を普遍語のそれに迫るほどに拡大する途方もない作業が必要だったのです(。

例えば「共和国」という言葉。これは英語で言えば「Republic」ですが、日本の「叡智を求める人」が政治学を学び、Republicという概念を表すために「共和国」という言葉を創出した

わけです。

同じように、日本語が「国語」へと発展する過程で夥しい数の言葉が生まれたのです。

(余談ですが、「共和国」など西洋の新しい概念を翻訳した新しい日本語は、漢字発祥の地である中国にも、中国の「叡智を求める人々」によって逆輸入されました)






こうして、元は1しかなかった日本語という「現地語」の集合は、翻訳という作業を通じて、その量が普遍語と比較しても10:7(適当な、感覚的な値です)ぐらいまで増えたわけで

す。

(また余談ですが、私がやっている「翻訳ドットコム」という翻訳事業の中でも、普遍語である英語の論文の翻訳を頼まれた場合に、適当な日本語表現が存在しないこともあります。つ

まり、私が翻訳ドットコムで経験するこのような日本語と英語の表現し得る概念の集合の不均衡こそ、日本語という国語を作った人々が日々直面し、解消していったものに他なりません

。)

そして一度「国語」まで昇華されると、日本に居る多くの「叡智を求める人々」は日本語で読み、日本語で書き、「日本語の図書館」に叡智を蓄積していったのです。








私が現在、任天堂DSを使って読んでいる文学、例えば夏目漱石や森鴎外といった文豪の作品には、こうした時代背景の中で、初めて日本語という「国語」で表現できるようになった様

々な概念が出現します。

また、「現地語」としても長年の進化を遂げた日本語は、日本の「日常生活」、即ち日本人の道徳観、自然に対する畏怖の念や自然を描写する美しい表現、そして二種類の仮名文字と漢

字の混在する「漢字仮名混じり文」によって表現される微妙なニュアンスの違いを備えた世界にも類を見ないほどに複雑で美しい「日本語」で書かれているのです。







この時代の文学に上述したような日本語の歴史における貴重な意義があるということ、そしてそこに用いられている表現が、日本語が今日のような砕けた現地語へと再び成り下がってし

まう前の、言わば日本語の高みにあった時代のものであるということを考えると、この時代の文学の価値が如何に圧倒的なものであるかを切に感じるのです。






日本在住7年目にして初めて、日本文学の真の価値に開眼しました。





ではなぜ、このように稀有な素晴らしい言語である日本語が、水村氏の本でなぜ「ほろびる」ことを前提とした扇情的で悲観的な題を付けられているのか。

その真相はぜひ水村氏の本を読んで下さい・・・と言いつつ、次の投稿ぐらいで書く予定です。

水村氏の書籍の題名が、副題まで含めると「日本語がほろびるとき ~英語の世紀の中で~」であることを述べれば既に秘匿し得ないのですが・・・(笑)

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