2010年5月7日金曜日

トゥール・スレン博物館にて

こんにちは、IRISスタッフ宮内です。ブログを書くのは一年ぶりくらいです。

ゴールデンウィークを利用して、カンボジアとタイに行ってきました。旅行の主な目的は、カンボジアで地雷除去をしているNGOの方を訪問することだったのですが、その傍ら観光もしてきました。その中で、カンボジアの首都プノンペンのトゥール・スレン博物館で強く感じたことがあったので、それについて書きたいと思います。


トゥール・スレン博物館は、クメール・ルージュ政権が学校を改造して使っていた政治犯の収容所を博物館化した所です。20000人程度収容されたうち生還者は8人と言われています。施設内には、拷問器具や教室を1メートル四方程度に小分けにした独房など、当時のおぞましい様子が残っています。

いろいろな展示の中で僕の目を引いたのは、スウェーデン人の使節団の写真の展示です。クメール・ルージュと友好的な立場にあった彼らは、外国人としてほぼ唯一公的にカンボジアに入国することができました。彼らは、政権によって用意された見せかけ上の成功した「革命」を写真におさめ、クメール・ルージュ政権の統治はうまくいっているという旨の報告をしました。展示は、その時の使節団の1人が、当時のカンボジアの本当の状態を見抜くことができなかったことを悔やみ、写真とともに「昔思ったこと」と「今思うこと」をコメントしています。

展示の最後に彼の経歴と今の思いが綴られています。彼は学生時代より社会主義に傾倒し、卒業後も社会民主労働党に所属していたこともあり、カンボジアの社会主義革命を過度に期待視してしまったため、クメール・ルージュの実体を見抜くことができなかったことを悔やんでいると言います。

彼の例が特に心に響いたのは、彼は決して悪意があったり能力が劣っていた訳ではなく、むしろ社会への貢献心が高い人間だったという点です。当時のスウェーデン及び国際情勢を考えると、学生が社会主義に走ること自体はそれほど不自然なことではないし、むしろ先進的で主導的な立場の学生ほどそのような方向に走る傾向にあったと思います。しかし、結果から見れば、「よい社会を」という個人の思いが、逆説的にも、4分の1近い国民の虐殺という事態を止める可能性をなくしてしまった。


「良いことをしよう」と思うことは簡単です。けれども、何が本当に「良いこと」なのか、「良いこと」とは何なのか、を常に考え、自分の行動を批判的に省みる行為を続けなくしては、効果がないだけでなく、全く逆の効果をもたらす可能性があるということは忘れてはならないと思います。


IRISの活動も、そんな思いでやっています。

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