2009年8月31日月曜日

選挙

過去の記事を見渡してみると、UT-IRISのメンバーはそれぞれインターナショナルな夏休みを過ごして
いるようですね。うらやましい限りです。

一方大学院農学部に所属している私は、8月は実験対象のイネの世話に追われ、ほとんど実験場で
すごしました。。。。というわけで華々しいネタがないこともあり(笑)、選挙の話をしようかと思います。


今日は衆議院選挙でしたね。民主党が圧勝のようですね。


このブログを読んでくださっている皆さんは10代~20代なのではないかと予想していますが、20代の皆さんは選挙にはいかれたでしょうか?

他の学生団体の宣伝になってしまいますが、私の知り合いが以下の団体に関わっています。
ちょっと遅いよって感じもしますが。。。。
学生団体ivote http://www.i-vote.jp/
20代の投票率アップを目指している団体ですが、とてもかっこいい団体だと思います。
現状として、日本の20代の投票率はとても低い(60代の約半分)です。
私は正直なところ、この情報がこのブログを読んで下さっている方にどれくらいの価値があるのかは
わかりませんが、少なくともこの事実を初めて知ったとき私は驚いたことを覚えています。
投票に占める割合が少なければ、20代のことを考えた政策もとられにくくなります。
20代はまだ若いとはいえ、20代を考えない政治でよい訳がありません。しかし、私達自身が選挙に
行かなければ、政治で考慮される権利を自ら捨てたことになります。
それはとても悲しいこと。
権利は行使しなければ!
ivoteの活動を通じてでも通じてでなくても、今回の20代の投票率が少しでもアップしていればよいな
と思います。


アメリカの大統領選では若者がすごく目立っていた印象がありますが、日本だって、
「今の若者には希望がない」とか「暗い」いわれますけど、そう言われっぱなしじゃあ気がすみません。
熱意を持って真摯に社会に向き合って、希望とまではいかずとも何かしらの目標はある若者は
いっぱいいるんだってことが社会的に当たり前のことになってほしい。
(少なくとも私の周りにはいっぱいいます)
そしてその若者達が当たり前のように次の日本を担っていけたら。
それに対して上の世代の人達も安心して若者達に日本の未来を任せてくれるようになれば。
そういう循環があれば、日本ももう少し明るくなったりしないのかなとか考えたりします。

IRISに全然関係ないじゃんって感じですが、IRISのやっていることも、単純化していってしまえば
「日本をどうしたいか」という意識のもとに行われているので、こういった話も関係なくはない・・・はず。


ではつまらない話になってしまいましたがどうぞよしなに!

いちおか

2009年8月29日土曜日

Cambridge








はじめまして、吉丸です。
大学生活最初の夏休みに、僕はCambridge大学のサマースクールへ行ってきました。

サマースクールの学生は、世界数十カ国から来ていた上に、年齢層も幅広く、大学生はもちろん、仕事を持っている方や、80歳くらいのご年配の方までいらっしゃいました。
このような多様なバックグラウンドを持つ方々と議論をする経験は非常に貴重なものであり、大変刺激になりました。
また、母国語と英語だけでなく、フランス語やドイツ語なども流暢に話せるマルチリンガルの方々も少なくなかったため、僕も第二外国語をしっかりと勉強しなくては、という気にさせられました。
サマースクールで出会った仲間たちは、皆将来のビジョンをしっかりともっており、将来自分のやりたいことを熱く語ってくれ、大変触発されました。

他にも、大好きなPremier Leagueを休日に見に行ったりと、楽しいこと満載でした。

残り一カ月近くある夏休み、刺激的な夏を過ごしたいです!

2009年8月27日木曜日

第61回日米学生会議 閉幕


こんにちは、大谷です(^-^
今夏、第61回日米学生会議(The 61st Japan-America Student Conference)に参加し、約1ヶ月間日米学生で議論を交わしてきました。

日米学生会議については詳しくはコチラ↓↓
http://www.jasc-japan.com
戦前から続く日本で最も伝統のある学生主体の日米学生交流事業です☆


京都ファイナルフォーラム後


ただいま、報告書を作成しているのですが、まだまだ考えや気持ちに整理が付かず本当に苦労しております・・・(>_<)

会議では東京、函館、長野、京都を回り、それぞれの地域でフィールドトリップを行ったり、フォーラムを開いてきました。

中でも、長野サイトでは小さな観光名所、小布施町を訪問し、アメリカ学生とペアになって日本人家庭にホームスティするという何とも稀な経験をしてきました。お世話になった家庭ではおいしい食事を頂きながら、町の歴史、生活、家族のことを僕らに共有していただきました。

そして最終日には、みんなで浴衣を着て野外でおいしい料理を振舞っていただき、参加者一同、全身で小布施町の人たちの暖かさを感じてきました^^


分科会メンバー @ 小布施浴衣パーティー

日米関係、グローバル視野を常に意識して挑んだ会議ですが、
日常生活の小さな行動、結束が生む大きなインパクトの強さをこの小さな町は示してくれました。
僕自身、岐阜の小さな町で育った経験を持ち、すごくこの町の人達のパワーに励まされました。


最後に、
日米学生会議の一番の収穫はここで出会えた仲間達。
一ヶ月におよぶ本会議のみならず、事前活動真から真剣に語り合える日本人参加者達との対話。
本会議が始まれば、アメリカ側参加者達との出会い。議論する際に言語の壁や考え方の違いで悩みつつも、お互いを認め建設的な成果を出そうとする姿勢から生まれる友情関係。(たまに恋愛関係に発展する組もあったり。。。)

非常に濃密な時間を共有するからこそ生み出せるものが日米学生会議にはあります。

来年夏には第62回日米学生会議がアメリカで開催されます^^
選考倍率がかなり高くなることが予想されますが、非常に良い機会です。
ぜひ挑戦してみてください >_<

2009年8月26日水曜日

沖縄

沖縄に来ています。
色々と、社会のことを、隅々まで勉強できています。


沖縄にいると、内地(本土)が遠く感じます。
街並みは東京よりはずっと、台湾に似ていて、
人の温かさも、台湾に似ているなぁ、と思います。


一方で、一本路地を入ったところには昔ながらの家や、あまり裕福ではない家もあります。


平均所得は全国最下位の200万円台。失業率は全国1位の8%前後。
大学進学率も全国最下位で、一位の京都のわずか半分。

美しい空と海と眩い笑顔の裏には、離島県であり、
中央からの補助に頼ってきたがゆえに抱え続けている苦難があります。

そして、数時間に一回(地域によっては引っ切り無しに)聞こえてくる米軍機の轟音。



日本の安全保障は、日米安全保障条約に全面的に依存しています。

そして日米安全保障条約は、米軍基地に全面的に依存しています。

そして米軍基地の75%が沖縄1県に集中しており、米軍基地が沖縄に依存しています。




この沖縄がこれからどうなっていくのか。

これだけの素晴らしい独自性を備えた沖縄をどう発展させていくのか。

もう、東京のコピーを、大小さまざまに全国に作る時代は終わるべきではないかと思います。

この沖縄の良さを伸ばしていける日本でなければ、国際交流もやはりうまく行かないような気がします。





少々論理の飛躍はありますが、なんとなくそう感じる今日この頃です。

2009年8月20日木曜日

UT-NTU Bridge Conference


去年のUT-NTU Bridge Conferenceからはや一年。

今日は久しぶりに、去年の参加者の二人とご飯を食べに行きました。
去年プログラムに応募してくれて、ひょんな縁から出会ったお二人。
しょっちゅう会うわけではないけれど、去年の話、今の自分たちの話、他愛のない話、何を話しても楽しく、かけがえのない友達です。
去年は教育全般に焦点を当て、予備校、専門学校、企業等にフィールドワークに行ったり、東大の教授や和田中の藤原先生、リバネスの丸社長にお話を伺ったりしながら、台湾と日本の教育システムについて比較し、考えを深めました。
(と言うとあっさり過ぎるので関心のある方はサイトの報告書をw)
…花火に行ったりカラオケに行ったり居酒屋に行ったり、日本の夏を満喫しました。
私にとって去年のUT-NTU Bridge Conferenceは、ターニングポイントではないけれど、今の自分につながるマイルストーンの一つです。

今年のUT-NTU Bridge Conferenceではどんな思い出ができるのでしょう?
帰国後に参加者の方のお話を聞くのが今から楽しみです^^
今頃何してるのかな…Hope they're having a great time!!

2009年8月15日土曜日

英会話

最近、英語の勉強を真剣に?取り組んでいる私。

TOEICの教材を使ったり、CNNをひたすら聞いたりしています(Anderson Cooper 360がお薦めです!)

日本で英語の勉強をする際、スピーキングの練習に関しては限界を感じてしまいます。

友人と喫茶店で英語で会話する機会を設けたり、先日もおもむろにダーツバーに出向き、仲間達と英語縛りで会話をしたりしましたが、、、

絶対的な会話量が少ないですね(泣)





僕が言うのも非常に烏滸がましいのですが、現在の日本人は「スピーキング力が弱い事」で計り知れない程の不利益を被っていると思います。対外交渉とか、商談の際とか、学会とか。

つい最近のNHKのテレビ番組で、日本の電力会社が世界基準の電圧規格構築に向けて取り組んでる様子を報道する番組がありました。

その番組の中で、東芝や東京電力という蒼々たる日本の大企業のマネージャークラス、つまり部長クラスの人達が、世界の競合会社達と協議している模様が放送されていました。

日本大企業の部長クラスというと、年収は最低でも1500万は頂いているでしょう。部下も大勢いるはずです。しかも、このような一大プロジェクトを任せられているという事は、その会社でも出世頭だと思います。

その彼らの英語力?っていうか英語を使った交渉力というものは、何とも頼りないものでした。

英語がブロークンである事もありますが、何よりも全く覇気が感じられない。

ドイツ企業の代表者とスウェーデン企業の代表者の会話に入りきれずに、何となくモジモジしている内に会話が終了してしまっている。。

そのドイツ人もスウェーデン人も、聞いている限りではそれほど英語が上手い訳ではありません。ただ、何か堂々としている。

インド人なんてもっと凄いですね。本当に彼らの英語は訳が分からない。

でも、「何か文句あるか!」っていう太々しさが、国際舞台では有利に働いている気がします。


僕は日本の製造業に誇りを持っていますし、今回NHKの番組に出ていた東芝や東京電力みたいな会社は、日本が世界に誇れる企業だと認識しています。それは今も変わりません。

ただ今回の番組で、部長クラスの人々の国際舞台での様子を見ていると、日本企業の行く末がちょっと不安になってしまいます。






周囲を取り巻く人々の90%以上が日本語しか話さないという環境、そして現在の英語教育制度を鑑みると、日本国内で英語を身につけるのはかなり厳しい気がします。

僕とて、この日本語バリアーというぬるま湯で育ってきた一人。自分のこれまでの英語教育を振り返ると、今更ながら冷や汗が出ます。

このぬるま湯の中でいくら英語の勉強をしても、海外で通用するレベルまで到達する事が出来るのか、甚だ不安になります。

来週から始まるUT-NTUが、僕の英語学習にとって大きな分岐点になる事を祈りつつ、、



2009年8月11日火曜日

コペンハーゲン大学留学

こんにちは、現在デンマークにいます。
IARU GSPというプログラムで派遣されてきました。

森の中の学校で景観学について勉強しています。

こちらにきて、世界中の大学から集まった学生と接触して思ったのは、英語力の違いだと思う。

アメリカや、オーストラリアの学生はわかるが、中学から英語を学び始めるシンガポールの学生や、中国の学生の英語力がとても高い。自己の思考能力は第一言語によって決まり、早い段階から第二言語を学ぶべきではないというのが、日本において小学校に英語教育を導入するのを反対する理由の一つであるが、日本語を学び英語を学ぶのが遅れ、結果国際的な場で活躍できなければ日本のプレゼンスを示すことはできない。

英語ができるというのは、目的を達成する手段だと思っていて、別にできたからってそんなに褒められるべきではなく、むしろグローバルな場で活躍したいのなら、できて当たり前なのである。

どんなに優秀で良いアイデアがあってもそれを人に伝えなければいけない。手段として英語。



なーんて堅苦しい文章書きましたが、生活はとても平和。

森の中に学校があって市街地へのアクセスが不可能だから仙人的生活をしています。


毎日朝はランニングで体が結構絞れてきた…

だってやることないし…








ご飯もおいしい


あと、思ったのが、ネイティブ同士が本気で会話し出すとついていけないということ。
これはどうやったら鍛えられるか甚だ疑問である。


疑問に思ったことを素直に質問し、思ったことを素直に発言し、先生との衝突を厭わない。

この姿勢を貫いているつもりだけど、なぜか、アジア圏でこれをやると間が気まずくなるという。

どうやったら、相手の気を悪くしないで反対意見を言えるのだろうか模索中。




2009年8月3日月曜日

ご飯がおいしい国♪

こんにちは、神出鬼没のMarieです。
もう八月だー!! (私の誕生月だー)

いやーよく考えると、日本っていろんな国のご飯あるよね。(日本式に折衷されてるものも多いけど。)
特にアジア系。


あと海外から帰ってくると(特にアメリカ長期滞在後とか)、
やっぱ日本てご飯がおいしい国だなーと思います。
外食も安いのでもおいしいし、スーパーで新鮮なもの売ってるし。


というわけで、こないだ連れて行ってもらった、六本木の素敵なタイ料理屋さん!!!

建物の13階かなんかで、窓ガラス張りだから、夜景がみれて、
ある一面は目の前にデカイ東京タワーが見えるんです!!!

というわけで、私たちはその東京タワーが見えるテーブルに座ってご飯ができることに★
私は久しぶりに東南アジアのご飯が食べれて、嬉しかったーおいしかったです。

前菜とデザートはブッフェスタイルで、取り放題。
こんな感じ↓


このデザートの奥の窓ガラスにライトアップされた東京タワーが見えたんですねー

でも残念ながら写真はないんよ・・・ごめんね。きれいに撮れませんでした。


というわけで、何故か今日は東京にある多文化・多国籍な食の一つのご紹介でした。

東京のシンボル、東京タワーを見ながらのタイ料理。そんなのもたまにはあり。



学校の前にある、学生向け中華料理屋さんも私は嫌いじゃないんだけどね。
Marie

2009年8月2日日曜日

日本文学の素晴らしさと、国語としての日本語について。

私はこの4月から、柏キャンパスという、東大の第三の極にして最も影の薄いキャンパスに通って居ます。

元は本郷キャンパス近くの文京区白山に住んでいたのですが、千葉県に移住してから、電車に乗る時間がめっきり増えました。

東京を往復するのにかかる時間は約二時間。なら何故態々、千葉まで引っ越したのか・・・というご指摘が多方面から聞こえそうですが、「東京から遠い」というこの一点を除いて、総

じて今の環境に満足しています。

もっとも、この一点だけを以って千葉への引越しが甚だ本末転倒であったと結論付けることもできるように思いますが・・・orz

まぁしかしこのような環境に身を置いてしまった以上、一日の十二分の一にも上るこの時間を如何に有効に活用するかは、重要な考察であります。





最近の私は、ニンテンドーDSという、任天堂の携帯式ゲーム機を片手にガタンゴトンとつくばエクスプレスに揺られています。

小さな画面に映るのは文字、文字、文字。

「DS文学全集」というソフトで、所謂、日本の文豪と呼ばれる方々の作品を数多く収録した優れものです。





恥ずかしながら、これまで文学、特に日本文学というものを多少軽んじて生きて参りました。

「所詮、誰かが考えた空想物語でしかない。態々時間を取って読む必要もない」と考え、

書物は専ら、経済、政治などに関する本や、フィクションであっても歴史や実社会に深く関連したもの(例:英語なら、ロシア革命を描いたOrwellのAnimal Farmとか・・)を好んで読ん

できました。






そんな私が、日本文学に対して俄かに食指を動かしたのは、友人に薦められて水村美笛氏の「日本語が滅びるとき」を読んでからのことです。

この本は、私が今までの人生で読んだ本の中で、或いは最も衝撃を受けたものであるかもしれません。





かなり端折って、この本の一部を要約します。

言語には三つの発展段階があります。即ち「現地語」、「国語」、そして「普遍語」です。




「現地語」は、人類の歴史の中で、様々な人々が様々な場所で日常的に使用してきた、数多の言語を指します。全ての言語は現地語として始まったのです。

「現地語」は人々の母語であり、そもそもが日常の意思疎通を目的としているため、書き言葉を持つとも限りません。



「普遍語」は、単に多くの人々が使用する言語ということだけではなく、各社会に一定以上いる「叡智を求める人々」が、「叡智を求め、叡智を作る」活動を行う際に使用する言語です



例えば、かつてのギリシャ語やラテン語、そして今日の英語が普遍語です。

ラテン語が「普遍語」であった時、ポーランドのコペルニクスも、イタリアのガリレオも、ドイツのケプラーも、イギリスのニュートンも、皆ラテン語で論文を書きました。

まさに「叡智を求める人々」の最たる例であった彼らは、日常的にはポーランド語やイタリア語を使やドイツ語や英語を使いながらも、こと天文学や物理学の「叡智」について書く時は

、「普遍語」であるラテン語を使用するのでした。





最後に、「国語」というのは、「もとは『現地語』でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、『普遍語』と同じレベルで機能するようになったもの」です。

例えば日本語。

嘗て仮名交じりの日本語は、「女子供が使う言語」として、東アジアの普遍語であった漢文より下位に位置する「現地語」でありました。
日本の公文書は漢文で書かれていたのです。

そんな日本語が「国語」へと昇格したのは日本が明治維新を経て国民国家としての転生を遂げた後、即ち明治期に入ってからのことであります。

それではこの時代に、日本語にどのような変化があったのでしょうか。

それは端的に言えば、日本語で表現できる概念が普遍語の其れに近い水準まで広がり、それまでは普遍語でしか書かれなかったこと(公文書、学術論文など)が、悉く日本語で書かれる

ようになったことに他なりません。






例えば、「普遍語」で表現し得る概念の集合の大きさが10であるとします(単位は特にありません・・感覚です)。

すると、「現地語」で表現し得る集合は例えば1程度のものです。普遍語と現地語の「叡智を表現する力」の比は、例えば10:1なわけです。

「普遍語」には政治や経済、自然科学、哲学など様々な分野において「叡智を求める人々」が何千年にも渡って貪欲に求め続けた叡智があります。

作者の言葉を借りると、「普遍語の図書館(施設としての図書館ではなく、過去に生まれた全ての叡智の集合としての図書館)」に絶えず人々が出入りし、「叡智」が詰まった普遍語を

読み、そして普遍語で「書き」、叡智を蓄積する飽くなき作業を続けてきたからです。

他方、日常の意思疎通のみが目的であった「現地語」には、元々は存在しなかった言葉がたくさんあったのです。

(逆に、例えば雪と密接な関係の中で生きるエスキモーの現地語には、雪の様々な形状や状態のそれぞれに対して、別個の表現があったように、「日常的」な事象を表現する方法として

の現地語は、普遍語より優れていることもしばしばです。四季折々の美しい風土、複雑な社会構造、独特の精神文化に恵まれた日本の現地語であった日本語も同様に、数々の優れた表現

を有していたのです。)






そして「現地語」が「国語」へと昇華されるためには、「普遍語の図書館」に入り浸り、そこにある叡智を記述できるように「現地語」に翻訳をし、「現地語」で表現できる概念の集合

を普遍語のそれに迫るほどに拡大する途方もない作業が必要だったのです(。

例えば「共和国」という言葉。これは英語で言えば「Republic」ですが、日本の「叡智を求める人」が政治学を学び、Republicという概念を表すために「共和国」という言葉を創出した

わけです。

同じように、日本語が「国語」へと発展する過程で夥しい数の言葉が生まれたのです。

(余談ですが、「共和国」など西洋の新しい概念を翻訳した新しい日本語は、漢字発祥の地である中国にも、中国の「叡智を求める人々」によって逆輸入されました)






こうして、元は1しかなかった日本語という「現地語」の集合は、翻訳という作業を通じて、その量が普遍語と比較しても10:7(適当な、感覚的な値です)ぐらいまで増えたわけで

す。

(また余談ですが、私がやっている「翻訳ドットコム」という翻訳事業の中でも、普遍語である英語の論文の翻訳を頼まれた場合に、適当な日本語表現が存在しないこともあります。つ

まり、私が翻訳ドットコムで経験するこのような日本語と英語の表現し得る概念の集合の不均衡こそ、日本語という国語を作った人々が日々直面し、解消していったものに他なりません

。)

そして一度「国語」まで昇華されると、日本に居る多くの「叡智を求める人々」は日本語で読み、日本語で書き、「日本語の図書館」に叡智を蓄積していったのです。








私が現在、任天堂DSを使って読んでいる文学、例えば夏目漱石や森鴎外といった文豪の作品には、こうした時代背景の中で、初めて日本語という「国語」で表現できるようになった様

々な概念が出現します。

また、「現地語」としても長年の進化を遂げた日本語は、日本の「日常生活」、即ち日本人の道徳観、自然に対する畏怖の念や自然を描写する美しい表現、そして二種類の仮名文字と漢

字の混在する「漢字仮名混じり文」によって表現される微妙なニュアンスの違いを備えた世界にも類を見ないほどに複雑で美しい「日本語」で書かれているのです。







この時代の文学に上述したような日本語の歴史における貴重な意義があるということ、そしてそこに用いられている表現が、日本語が今日のような砕けた現地語へと再び成り下がってし

まう前の、言わば日本語の高みにあった時代のものであるということを考えると、この時代の文学の価値が如何に圧倒的なものであるかを切に感じるのです。






日本在住7年目にして初めて、日本文学の真の価値に開眼しました。





ではなぜ、このように稀有な素晴らしい言語である日本語が、水村氏の本でなぜ「ほろびる」ことを前提とした扇情的で悲観的な題を付けられているのか。

その真相はぜひ水村氏の本を読んで下さい・・・と言いつつ、次の投稿ぐらいで書く予定です。

水村氏の書籍の題名が、副題まで含めると「日本語がほろびるとき ~英語の世紀の中で~」であることを述べれば既に秘匿し得ないのですが・・・(笑)