2009年5月30日土曜日

東京大学の歴史的役割に鑑みる東京大学の「良いところ」「悪いところ」

東京大学は良くも悪くも特殊な機関であります。

東京大学は1877年にわが国で初めて設立された大学であり、当時は唯一の大学であったため「帝国大学」「大学」と呼ばれ、現在の英語標記が「The University of Tokyo」と定冠詞「The」を付けて表記されているのも唯一の大学であった頃の名残りです。






よく言われることですが、明治時代、西洋列強に追いつくために近代化することを急務としたわが国において、東京大学は極めて大きな役割を担いました。

一つは、水村美苗氏が著書「日本語が滅びるとき」で書いているように、「学問の言葉」が英語、ドイツ語、フランス語であった時代に、東京大学は巨大な翻訳機関として西洋が蓄積してきた叡智を日本語に翻訳し、日本人が共有できる形へと変換したことです。

そしてもう一つは、政官学財の各界に、このような叡智を応用して近代化を推進するリーダーとなる人材を輩出してきたことです。

東京大学が「叡智の集積・叡智の翻訳・叡智を応用する人材の育成・叡智の応用」を行ってきたことが、わが国の近代化の礎を作ってきたことは確かあり、歴史を振り返ると東京大学に結果的にこのようなたくさんの「良いところ」があったからこそ、わが国の近代史において極めて大きな役割を果たし得たのだと言えます。







それでは2009年現在の東京大学はどのように評価されるべきなのでしょうか。








上述した東京大学が歴史的に担ってきた4つの機能のうち、「叡智の集積・叡智の翻訳」は、現在も東京大学に限らず様々な大学で活発に行われています。

「叡智の応用」は、技術が高度化し、叡智を応用するプロセスに大きな資本が必要な時代の要請に応えて「産学連携」という形で進められております。まだ多くの課題があるようですが、近年になって東京大学エッジキャピタルや東京大学TLOが設立され、力強く推進されている分野であると言えます。







このように、東京大学は明治以降に担ってきた役割のほとんどを引き続き担っている、或いは担うための体制を常に能動的に整えていると言えます。

これらは、「東京大学の役割」を明確に意識した、東京大学の「良いところ」であると思います。






他方、「叡智を応用する人材の育成」という点については、今日の東京大学が果たすべき役割を果たしているどうかは少々の疑問が残ります(お世辞にも優秀な東大生である

とは言えない私がこのような主張をする僭越をお許し下さい)。

私は、今日の東京大学が直面する最も大きな問題は、「学生の均質化」と「学生の意欲・責任感の低下」であると考えています。








日本の受験界の頂点にある東京大学には、経済的な事情から東京大学に通えない方を除いて、少なくとも受験勉強において最も高い成績を収めた人々が入学しています。

これは、東京大学(帝国大学)の黎明期と表面的には同じ状況ではありますが、当時と決定的に違う点があります。

当時は高等学校(旧制中学)以上の教育を受けられる人自体が少なく、大学にはほんの一握りの、意識・意欲の高い人材だけが入学していましたが、今日はいわゆる「大学全入時代」が到来しており、同じようなカリキュラムで、同じように育成された高校生が、画一的な試験で高い点数をつけた順に偏差値の高い大学に入学していく仕組みになってしまっています。

これには二つの弊害があります。

一つは、当然ながら、「上から順に数字をつけて、一番高いグループは○○大学、次のグループは○○大学、次は○○大学・・・」と分類していることになるので、入学試験という尺度での「均質化」が起きるということです。これによって、「(点数が)上だったやつに追いつこう」という向上心や「下だったやつに抜かれないように努力しなければ」という危機感も薄れます。「みんな大体同じなはず」だという変な連帯感が安心感を生み、学生が努力する動機を幾つか削いでしまうことになります。また、たとえ入

学試験以外の面において東大生以外の人に大きく差をつけられていても、入学試験という尺度での序列が変な優越感・安心感を与えてしまいます。

もう一つは、「受験勉強の合格点取得 = 東京大学が提供する利益を一身に享受することの正当化」という図式が出来上がってしまうことです。
「東京大学に入学するだけの点数を取ったのだから」という理由で、「東京大学で教育を受けること・東大生であること」を心理的に私物化・私有化してしまうケースがあるように思います。それは、「東大卒」という肩書きを就職活動用の材料ぐらいにしか思わない東大生を生んだり、不必要に他大学を見下す東大生を生んだりします。「東大生であること」を当然の権利としてしか見ず「東京大学」を自分の目標を達成するための道具として用いる学生が増えているとすれば、社会的な責務を感じて日本の近代化のために尽くした明治期の東京大学と同じ役割を担う力は弱っている恐れがあります。







つまり、非常に悪く言えば、同じような環境で育ち、同じ尺度で選ばれた均質な学生が、均質だという安心感の中で、「東大生・東大卒」という「当然の権利」を行使して、自分自身の目的達成のために東京大学を利用する、という状況が一部には生まれつつあるということだと思います。

これは、様々な環境で育った学生が、「東大生・帝大生」であるということを権利だけでなく責務として捉え、日本の近代化のために尽くした過去の東京大学とは一線を画すものであります。

そして様々な国の学生と国際交流をしていて思うのは、中国やインドのような新興国のみならず、アメリカのように日本よりも発展しており、教育の歴史が長く、水準が高い国においても、後者のタイプの学生が多いのではないかということです。最高学府の学生の均質化と意欲の低下は、日本の最高学府で学ぶ東大生に特異なことであるのかもしれません。

それでは、この状況を打破するためにはどうすればいいのでしょうか。





他国の学生と真剣な議論や交流の中で接することは、「東大生」である自分自身を、「国内の画一的な評価制度」で上位にあるということだけでなく、「世界の大学生」という別の部分集合の中で捉え、自分自身の強みと弱みを他国の大学生との相対の中で感じることになります。こうして自分自身を相対化することこそが、変容してしまった東大生の意識・意欲に再び「適度な危機感・緊張感」「権利と責務のバランス」を芽生えさせることになるのではないでしょうか。

そしてこのような東大生の質的な変容が再び強い日本をつくる原動力になり、結果的には個々人の利益だけを追求した場合以上に、個々人の目標達成および利益にもつながるものであると思います。

東京大学の132年の歴史の中にあった東京大学の「良いところ」と「悪いところ」をしっかりと見据え、現在の東京大学の「良いところ」と「悪いところ」と照らし合わせ、守るべきところを守り、変えるべきところを変えていく。法人化後の東京大学は改革を果敢に進めていますし、これからの東京大学を非常に楽しみに思います。

2009年5月27日水曜日

サンガレンシンポジウムに参加して

はじめまして、東京大学工学部4年の宮内と申します。
UT-IRISには半年ほどお世話になっております。といっても最近はなかなかコミットできていないのですが・・・(笑)
いろいろな意味で尊敬できる人が沢山いるので、楽しくスタッフをやらせていただいております。


さてさて、ちょっと間があいてしまったのですが、5/4~11まで、St.Gallen Symposiumというプログラムに参加するため、スイスに行ってきました。

http://www.stgallen-symposium.org/

プログラムがどういうものかはweb siteを見ていただくとして、人生観が変わるくらい刺激を受けて帰って参りました。自分が受かったことが信じられないくらい、すばらしい学生、第一線を行くビジネスマン、アカデミアおよびビジネスからの超一流のスピーカーの方々が集まっています。こういうプログラムに沢山参加している訳ではないので分かりませんが、「りーだーしっぷなんとか」的なプログラムにありがちな、モチベーションだけ高い人が集まっている場ではなく、様々な方向性で尊敬できる人が集まっています。

来年学生の方、学生にならざるを得ない方など、是非参加される事をお勧めします。僕も来年は学生にならないとニートになってしまうので、またアプライしようかと思っています。受かるかどうかは分かりませんが・・・



さて、帰ってきて早速日々の雑事に追われてしまう毎日ですが、今回のシンポジウムで得たことを胸に刻むために、強く思ったことを書き残しておきます。

①Be open-minded
とにかく、日本にいると視点が偏ってしまう、というのは海外に行くたびに思うことですが、今回ほど強く思ったことはありませんでした。それは世界各地から優秀な方々が集まっているこのシンポジウムだからこそなせたわざなのかもしれませんが、それにしても皆視野が広いことをひしひしと感じました。 specialistとgeneralistの両立というのは東大の前総長が入学式におっしゃっていたと記憶していますが、まだまだほど遠い自分に辟易してしまいます・・・

②Act professionally
学生だとか社会人だとかいった肩書きなどは関係なく、個々の力が試される場において、頼れるのは自分自身の力だけ。他人に頼ったり流されたり、相手のオーラに威圧されたり、心の中で言い訳をしているうちは一人前にはなれないと思いました。誰に対しても自信を持って(心理的に)対等に接することができて初めて、professionalと言えると思います。

③Input and Output
上にも通じることですが、自分に自信をもち、professionalとして振る舞えるためには効果的にinputとoutputをできることが重要だと思います。日本人は英語が下手だと言われますが、個人的には日本人は単にこの能力(+自信)が欠けているだけだと思います。


来年学生でいらっしゃる皆様には、ぜひこのプログラムをお勧めしたいです。おそらくエッセイの提出は2月頃になると思いますので、ぜひわれわれのサイトhttp://ut-iris.org/でご確認ください。

2009年5月25日月曜日

東京大学で学ぶ

はじめまして。

工学部航空宇宙工学科3年の大谷翔といいます。



昨年度、高専(高校+短大の5年間通う学校)から編入してきました。

高専時代の専攻は電子制御工学です。

そんな経歴もあってからか東大に求めたもの、イメージしていたことも一般受験組とはずいぶん違っていたと思うことも多々あります。

僕が編入学以前に一番求めていたものは”専門”でした。技術者の道を突き進むなら日本一の環境、世界から評価される大学で専門を磨きたいという一心で受験を決めました。



僕から見た東京大学の良い点、悪い点を挙げると、



【良い点】

・人

東京大学には色々なものに秀でて、野心を抱く人が多くいるように思います。勉強だけではないです。

ノーベル賞級の研究を志す人、政治家となって日本を改革しようとする人、起業を考える人、・・・、人を惹きつける個性を持つ人



・研究レベルや施設

研究レベルや施設がとても充実しています。教授陣は日本の権威ばかりで研究室に伺えばワクワクするような最先端のお話を山ほど聞かせてくれます。自分で学習を進めるにしても、日本一大きな大学図書館である総合図書館や各学部・学科の図書館へ行けば探していた専門書や論文が必ず見つかります。勉強以外でも、ジムやカフェなどの施設もあり、生活自体を充実させる環境まで整っています。



・機会

東京大学では毎週のように各界の大物を呼んで、講演会やシンポジウムをやっています。そういった人達の話を直に聞き、質問などをぶつけられるのはとてもためになる経験です。就職活動においても憧れの舞台で活躍するOBから率直な意見を聞くこともできます。主体的に行動すれば、東京大学は選びきれないほどの機会に恵まれています。



【悪い点】

・国際的視点

 学生時代から世界へ出る、そして世界から東京大学で来る学生が少ないことは大問題です。東京大学はこの点で大きく大学ランキングの順位を下げています。なかには、学術面での評価は高いから問題ない、東京大学は世界トップレベルだと唱える人もいます。しかし、将来必要となるのは、研ぎ澄まされた専門性のみでなく、広い知識と経験から成る”他人を受け入れる心意気”と”自らを堂々と表現する自信”が必要だと僕は考えています。国際舞台ではそれまでの人生で出会ったこともないような人や考え方に出会う確率が高く、その経験から自らを見つめ、人生の方向性まで見定められるようになる人までいます。このようなチャンスを学生がなかなか利用しきれていないことが非常に残念です。







このUT-IRISの活動を通して、学生レベルでの東京大学の国際活動を活性化し、さらに東京大学を、日本を魅力的にしていきたいです。

僕は海外といえばまだ、米国、オーストラリア、台湾しか行ったことがありませんが、自分自身もこの活動を通して見識を広めていき、また日本の魅力も発信していこうと思います。

2009年5月22日金曜日

東大生活5年目の雑感

こんにちわ、はじめまして。こうです。
工学系研究科に進学しまして、現在防災分野の研究室にいます。
ということも関係して、最近IRIS内でも非常に憎まれている新型インフルエンザについて、発生からの追跡調査をすることになりました。
こういう調査・分析が入ってしまうので、最近は否応なしに研究室へのコミットが高くなっています。

今回のターン(響き悪いですかね)では、東大のいいところ、悪いところについて考えてみようということになってます。
■いいところ
【人】
優秀にもいろいろあると思うんですが、
いわゆる試験を非常にうまくやりきる人、たまにエッジを利かせた意見を述べる人、推進力がある人、要領がいい人などなど、
見てるといろいろ気付くことや考えさせられることも多くて楽しいです。

で、たまにとんでもない人がいます。
いままで何人か思い浮かぶ人達がいるのですが、やはりそういう出会いが歩みの加速度を飛躍的に上げてくれる。
そんな出会いがごく稀にでもあるということは、東大に通っててよかったと思えるとてもありがたいことです。

【大学・研究】
やりたいことがあって、それを実現するために必要な「レバレッジ」とでもいうのか、リソースは他大学と比較すれば豊富にあるなと思います。有効に活用できているのか、されているのかは藪の中なのですが。。



■悪いところ
【研究】
Liさんも書いていましたが、研究室の閉塞感というのか、そういうものをよく感じます。
自分のやっている研究内容には満足をしているのですが、縦割りすぎる。
すごく狭いコミュニティの中での生活というのは、4年生の1年間しっかりやってみようと思って頑張りましたが、息苦しいものです。革新的なものを生んで行くということを考えたときにも、この構造には致命的な欠陥があるように思います。
また、類似するような研究が複数箇所で進んでいるのでは?と思うこともあり、他学部を含めより連携する体制があるといいと思います。

【大学】
自分がいる学科(好きかどうかは別の話)では海外インターンに派遣してくれたり外にも目を向けさせてくれる環境がありました。ただ、全学を通じてそのような環境を醸成しているかというと、そのようなことはない。
また、制度があっても組織ごとにバラバラで連携が取れていなかったり、制度があっても周知されていなかったり。そういう状況にもどかしさを感じることが多々あります。

余談ですが、全学に1年間の留学を課すという制度があったらいいなぁと思ったりします。
海外に興味がある学生もない学生も。
外から日本を見つめ直して日本の問題を再認識する人、日本の良さに誇りを持つ人、海外の異文化に触れ自らの中に多様な価値観を取り込んでいく人、より自分に合った文化を見つける人、英語の必要性を痛感する人、自分の大学生活を海外の大学生活と比較してヌルさに気付く人などなど

自由な時間を過ごすことができる大学生活の、なるべく早いフェーズでこの経験をできたら、大学生活はもっと充実するんじゃないかなぁと個人的に思ってます。

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急ぎ足で書いてしまいましたが、今後も団体に入ったきっかけとか、いまやっている海外に関する研究とか書いて行けたらと思っています。


文章もおもしろくなるように練習しなければですね。
お付き合いありがとうございました。
それではまた。

学びの場としての東大

東京大学はご存じの通り日本の最高学府です。
大学受験の偏差値では日本のトップであり、優秀な高校生ならばほとんど、みなが目指す大学である。
(この一極化の良し悪しには議論の余地は残るが)

さて、ここでなぜ学力が高ければ東大を目指すのか?
・就職するときのブランド力
・環境の良さ
さまざまな切り口が考えられますが、単純に言えば偏差値が一番高いから、だと思う。

僕が所属していた私立の受験校は、先生は優秀な生徒にはみな東大を受けるように勧めていたが、特に偏差値が高いから、ブランド力があるからといった他の理由を提示できていなかったと思う。

東京大学が誇れるべき学術環境として圧倒的なのが
・多様性(文系、理系、留学生、教養学部のシステム)
・研究費用の充実度
・アカデミックの強さ
だと思う。

唯一日本で教養学部を取り入れて、最初の二年間これまで受験勉強で一方的で受け身の勉強を極めてきたと言える学生の視野を広げ、彼らの将来に向けての準備期間を提供する意義はとても深い。
そのような環境で学ぶことも重要だが、ここで作られた多様性に満ちた友人関係の価値は計り知れない。

アカデミック分野での東大の強さは国際ランキングからも見られるようにいちいち述べる必要もない。
ただ肌身として感じるのは研究者の人々のコミュニケーション能力があまり高くないのである。
縦社会の真髄ともいえる研究室で、自分の専門分野にひたすら打ち込むことはもちろん専門性を高めるが、その閉塞性故にほかの専門分野の研究者との交流がきわめて少ないのである。

僕はイノベーションには多様性のミックスが必須だと信じており、このような現状を打破できないかと考えているが、競争が無く地位が脅かされない縦社会の研究室では難しい。

なので僕は研究科に所属しながら、できるだけほかの分野の友人とご飯を食べるようにしているし、さまざまな討論をして見解を広めるようと努力している。

UT-IRISという学生団体は、目的を共有しながらもメンバーのバックグランドが多様にわたり(文化的にも、学術的にも)、そのミーティングは様々な考えを知る貴重な場となる。

国際交流イベントの重要な意義の一つとして、自己啓発なるものがある。
日本の中でずっと優秀で生きてきた東大生はよくいえばその考えや行動は日本の中では研ぎ澄まされており極めて1次元的評価で言えば頂点を極めているが、国際交流で外の文化の人間の意見を聞くとそもそも評価軸が1次元から2次元に増えることにより、他の方向性の見方が見えてくる。
これは国際交流イベントに参加した人間が共通して口をそろえて言うことである。

自分の考えの教養を深め、より高い視点から現状を俯瞰するためにも、このような国際交流イベントはとても役に立つだろう。

現在東大は国際化を進めているが、その結果もっともっと東大の中での多様性が増えればいいなと思う次第です。

2009年5月21日木曜日

東大の良いところ悪いところ

はじめまして、湯淺です。

カーティス教授講演会に続き清華大ウィークも延期になってしまい、いくら豚インフルエンザを呪ってみても気がおさまりません。。。


気を取り直して、東大の良いところ悪いところ。思いつくことはたくさんありますが、何点か絞って書いてみます。
IRISスタッフとしてブログ書かない方がいいんじゃないか、っていうくらい稚拙な文章しか書けないので、思ったことを文章気にせずそのまま書くことにしました。



まず東大の良いところ。
  • 様々な専門分野の友達ができる。

これぞ総合大学の良いところ。駒場時代のサークルやIRISの活動を通して、文理関係なく様々な学部の友人ができました。異なる考え方を知れて面白いっていうのもあるけど、まだ大学生だからか専門による考え方の違いってあまり感じない。それよりも私が一番面白いって思うのは、違う分野の話を聞けること。学問だけに限らず、将来の進路に関しても。

  • すごい!と思える人がたくさんいる。

部活やサークルに力を注いでいる人、それから信念を持って学生団体の活動に学業以外の時間を捧げる人、皆話をすると刺激を受ける。それからもちろん、学問に集中している人にも。

尊敬できる人がたくさんいる環境っていいな。自分もそんな風になりたい、とモチベーションが高まるし。

続いて東大の不満な点。

  • 国際化が遅れている。

世界の大学ランキングで、研究等他の項目に関しては良い評価を受けているのに、「国際化」の項目はひどい評価。

確かに留学生も外国人教職員も少ない。

日本人の私は現状に何の不便も感じないし、あまり気にすることないんじゃないかと思っていたけど、サンガレンシンポジウムやGlobal Summer Programで海外の学生と交流したり海外の大学で授業を受けてみて、いろんな国籍や経験を持つ学生がいる環境に驚いた。

それがどうしていいの?って聞かれると困るし「多様な考え方を知れる」とつまらない答えしかできないかもしれないけど、そういう環境って刺激的で面白い。自分のアイデンティティや国籍、日本と他の国との関係、客観的に見た日本を常に考えていなければいけなくなる。

  • 学部が縦割り。
せっかく総合大学なんだから、もう少し学部間で協力すればいいのに。授業時間もバラバラだし、教務課やホームページもそれぞれ。せめて授業時間揃えれば、他学部聴講しやすいと思う。
それから、Dual Degree制度が欲しい。

最近グローバルCOEとかで協力してる学部もあるし、学部間の連携が進みつつあるのかな?



つらつらと書いてみましたが、自分の通っている大学を少しでも良くしたい!と思うから、不満を言うだけじゃなくて悪い点は改善できるよう中から働きかけていきたいです。
日本人的な帰属意識を自分の大学に持っているからだけではなく、毎日通う大学だからこそ、自分にとって居心地の良い環境、自分を高めてくれるところにしたいから。
学生からも意見を言って、魅力的な大学にしていきたいな!

2009年5月6日水曜日

日本的であるほど、それは世界的になる

「日本的であるほど、それは世界的になる」

SUNTORYのモルトウイスキー「山崎」のキャッチコピー。

いつだったか、このキャッチコピーが書かれたSONTORYの広告を見て、非常に印象に残ったのを覚えている。

そして、この言葉の横には、着流しに刀を差した一人の青年。

後で調べてみたら、この人は伊勢谷友介という方で、最近のNHKドラマで白洲次郎を演じた俳優さんらしい。




それにしても、このキャッチコピーは非常に考えさせられる所が多い。

僕は就職活動中、「国際的人材の育成」や「世界で通用する人材」という言葉を嫌になる程耳にした。

その度、「結局、どんな人間が国際的人材やねん。人事部のあんたらは、答えを持ち合わせているんか?」と思った。


「私は多様な文化に触れてきた経験から、多様な価値観を受け入れる事が出来ます。(だから私は、国際的な人間です)」

このような意見を言う人、結構多い。

そして、何か説得力もあったりする。

国際的な人材=多様な価値観に触れてきた経験があり、様々な考え方を受け入れられる人

という方程式は一つの答えである気がするし、この意見に反論出来る気がしない。



が。。。

な〜んか、答えとして物足りない。。と長年思ってきた。

「じゃあ、お兄さん。そもそも多様な価値観を受け入れられる人ってどんな人よ? 多文化交流経験が豊富なら、勝手にそうなるのか?もしそうなら、今まで人類は戦争を起こす事なんて無かった気がするぜぃ。」

へそ曲がりな水野さんは、こう聞きたくなってしまいます。





突然話は変わって、ここで一つ、僕の持論。

「自分を確立してる人程、他人に寛容。自分に自身の無い人程、他人に攻撃的」

これが、所謂「国際的人材」の話にも当てはめられるんじゃないか、と思う。

つまり、多様な価値観を受け入れられる人物=自分の価値観(アイデンティティー)を確立している人間=国際的人材

って事。




そして僕が思った、世界で通用する(この言葉の定義も甚だ難しいが)人間になる為に必要な条件は。。。




自分の中にあるアイデンティティーを確立させていくこと、なんじゃないかと思う。

自分のアイデンティティー、僕の場合は「日本人であること」を確立させていく事が、結局は世界的な人材、世界で尊敬される日本人になれる近道なんじゃないだろうか。

自分の中の軸がしっかりしているからこそ、周囲の人にも優しくなれるし、他人とも分かち合える。

別に海外とか、国際舞台に限った話じゃない。

日常の友達付き合いでも、自分に引け目がある時や自信が無い時、な〜んか周りとギクシャクしちゃうでしょ?



ちなみに僕の私見だが、プーチンロシアがその状態にあるんじゃないかと思う。

あの国は西側陣営に破れ、ソ連も崩壊し、そして「社会主義」という自らの軸を失った。

その後の90年代、国家としての軸が見つからず、ロシアは彷徨う。

そしてプーチンが、「強いロシアの復活」を掲げて登場した時、自らの軸が確立していない彼らは、外部への強硬姿勢を見せる事になってしまう。


何でも、今モスクワではロシア正教会の建物がいっぱいだそうだ。

彼らは、失った自らの軸を、かつて彼らが否定していた宗教に求めようとしているのではないか。



話は戻って。。。


「じゃあ、日本人のアイデンティティーって何やねん!」という質問が次に出てくるかと思います。

こりゃ、なかなか難しい質問ですな。一言では言い表せない。。と逃げたくなります。


では、その答えを探す一助として次の問題。



Q:日本の二千年の歴史の中で、「日本人が最も日本人らしかった」のはいつか?日本人が日本人としてのアイデンティティーを感じ、「世界の中の日本」という実感を持って生きていた時代はいつか?

図り間違っても、2009年現在の日本ではありません。今は、日本人が放浪し始めている、めちゃくちゃヤバ〜い時代です。

僕が思う、「日本人が最も日本人らしかった時代」は。。。


1、中国大陸の隋、唐帝国の脅威を感じながら、中央集権国家の設立を目指した時代。
  聖徳太子、天智天皇、天武天皇の時代。

2、幕末期、欧米の帝国主義に立ち向かう為、近代国家の設立をひたすらに目指した時代。
  坂本竜馬、勝海舟らの時代。う〜ん、この時代は日本史の奇跡だ。

3、敗戦後、荒野の中から国際社会への復帰、先進国への復帰を目指した時代。
  吉田茂、白洲次郎の時代。

これらの時代、強烈に日本人としてのアイデンティティーを持った人々が現れ、世界と渡り合っていったのだと思う。

そして彼らは、日本内での評判はさておき、世界の人からは一目を置かれる存在=国際的人材であったんだと思う。


彼らの持っていた魂、大和魂?みたいなものを、現代の僕達は持っているんだろうか?

ぶっちゃけ、持っていないと思う。

てか、こんな話を前に女の子にしたらドン引きされました。



しか〜し、そんな事で僕はひよったりはしません。

人前で言う機会は二度とないでしょうが、誰よりも日本人に誇りを持ち、日本人としてのアイデンティティーを大切にする事で、

世界中の人々と渡り合っていきたいと思います。

そして、日々そのように振る舞っていく事が、日本という国、日本人という民族、そして水野雄介という一人の人間が、世界から信頼される事になっていくんだと思っています。